比類なきシーズンの比類なきチャンピオン 「家なき」コヴェントリー、戴冠の軌跡 - EFLから見るフットボール

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比類なきシーズンの比類なきチャンピオン 「家なき」コヴェントリー、戴冠の軌跡




10試合を残し、シーズンは打ち切られた。そのステイタスは、「与えられた」ものになった。
それが何だと言うのか。19/20シーズンのコヴェントリー・シティは、間違いなく、他の誰よりもLeague One王者の称号に相応しいチームだった。


混乱に彩られたLeague OneLeague Two19/20シーズンは、各クラブ10試合前後の未消化を残した状態で打ち切られることになった。

ベリーのリーグ除名、マクルスフィールドの醜聞、その他にも多くのクラブが財政面・運営面に多くの問題を露呈した1年。そのシーズンが世界的パンデミックの流行という理由で幕を閉じたことには、偶然の一言では片付けられない、宿命めいたものを感じずにはいられない。


しかし今から1年前、この混沌のシーズンのプロローグとも言うべき出来事が起きていたことは、もはや多くの人が忘却の彼方に追いやっていたことだろう。

多くのクラブが無観客試合の開催を許容できなかった中で、今シーズンのLeague Oneには、開幕からの全公式戦を事実上のアウェイで戦ったチームがいた。

それだけではない。本来の場所から23マイルも離れた先で「ホームゲーム」を開催し続けた彼らは、あろうことか、堂々たる成績でリーグを制したのだ。

もう二度と現れない、いや、現れさせてはいけない、気高く物悲しいチャンピオンズの記憶。
そんな19/20 コヴェントリー・シティの雄姿を、ここに書き残す。


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【没落】

18133敗、34試合67ポイント2020年を無敗で駆け抜け、1試合消化の多い2位ロザラムに対し5ポイントのリード。

リーグ中断後、とりわけシーズンの終了方法について意見が分かれたLeague Oneの中でさえ彼らの昇格に異を唱える者は皆無だったことが、何よりも雄弁に今シーズンのコヴェントリーの傑出度を物語る。

しかしより重要なのは、これほどの成績を残した彼らが、長年に渡る運営失敗によるツケを現在進行形で払わされている “Failed Club” の一つに数えられる存在だという事実だ。


ブリティッシュ・フットボールのオールドファンにとって、コヴェントリーは小学時代の級友のような名前だろう。66/67シーズンのディヴィジョン2優勝以後、実に34シーズンに渡って一部リーグに残留し続け、86/87シーズンにはクラブ史上唯一のメジャータイトルとなるFAカップを制覇。誉れ高いプレミアリーグの初期メンバーにも名を連ねた。

一方で、長年のトップディヴィジョン滞在は、クラブの運営基盤を徐々に脆弱なものにしていった。一部での最高順位は69/70シーズンの6位。それを含め、34年間の中で一桁順位でのフィニッシュはわずか3回に留まり、ほとんどは残留争いを強いられるシーズンが続いた。

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ジリ貧の状況を打破するため、1997年、当時のブライアン・リチャードソン会長が新スタジアム計画を立ち上げた。当時としては画期的な45,000席規模の多目的スタジアム構想は、当時イングランドが誘致していた2006年のワールドカップ開催を見据えたものでもあった。

しかし2001年、コヴェントリーは19位でシーズンを終え、遂に降格の憂き目に遭う。当初この翌シーズンからの開場を目指していた新スタジアムは、降格、それに伴う財政状況の変化、建設会社の変更、加えてワールドカップ誘致の失敗といった複合的な要因により、根本的な計画見直しを迫られることになる。

結局このスタジアム、リコー・アリーナが完成するまでには、それから4年後の20058月まで待たなければならなかった。
そして最も重要なことに、財政面の負担を行う能力を失ったクラブの代わりに、建設費用の大半をコヴェントリー市議会が提供することになった。市議会と半々で所有するはずだったスタジアム運営会社 “Arena Coventry Limited”(以下、ACLと記載) の株式も売却せざるを得なくなり、クラブ側は年間130万ポンドの賃料を支払い、オーナーではなくテナントとして入居する運びとなったのである。

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高額な家賃に加え、試合日収入もチケットとグッズの売り上げのみに制限された新スタジアムは、その煌びやかな外装とは裏腹に、コヴェントリーのクラブステイタスを押し下げていった。いつしかチャンピオンシップでも下位が定位置となり、そこからの脱却を目指し無謀な補強に挑んだことも、財政状況をさらに悪化させる原因になった。

そして200712月、クラブは破産を回避するため、ロンドンを拠点に置くヘッジファンド “SISU” によって買収される。

これが、悪夢の始まりだった。




当初SISUは、今では考えられないような、積極的な資金投資を行っていた。買収時にプレミアリーグへの復帰を目指すと明言した彼らは、その言葉通り破産寸前にあったクラブを一度は立て直し、昇格を見据えるだけの良質な選手たちを揃えた。

ただ一つついてこなかったのは、結果だった。クラブ全体がはまり込んだダウンスパイラルは、スコット・ダンキーラン・ウェストウッドリチャード・キーオといった才能をも呑み込んだ。
そして11/12シーズン、チャンピオンシップで23位に甘んじた彼らは、League Oneへと降格する。

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SISUが目を向けたのは、市議会へ支払う割高なスタジアム賃料だった。ここから彼らは、建設時に売却したACLの株式50%の再取得に並々ならぬ執念を燃やすようになる。

20124月、市議会が持つACL株式の売買交渉が不調に終わるやいなや、SISUはリコー・アリーナの賃料支払いを拒否し始める。これは後の裁判で、ACLの経営状態を悪化させ、株式を割安価格で購入するための意図的な不正行為とみなされた。

同時期にはもう一方の株主で、建設時に株式を手放した際の売却先であるアラン・エドワード・ヒッグス・チャリティにもオファーをかけたが、こちらも交渉は平行線を辿った。

業を煮やしたSISUは、ここでナンセンスな行動に出る。

13/14シーズンから3年間、コヴェントリーから34マイル離れたノーサンプトンのシックスフィールズ・スタジアムでホームゲームを開催すると発表したのだ。

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ファンにとって、それは裏切り行為以外の何物でもなかった。SISUに対する苛烈な憎しみが、多くの人々の間で共有された瞬間である。

スタジアム内外での抗議活動が始まった。ノーサンプトンでホームゲームを開催するクラブなど、コヴェントリーのチームではない。「遠征」を拒否するサポーターが多数出現し、ノーサンプトンまで足を運んだ人も、多くがスタジアムを見下ろす丘から試合を観戦した。

地元紙 “Coventry Telegraph” が主導した活動の成果もあり、SISUは当初の予定を2年切り上げ、14/15シーズンからホームをリコー・アリーナに戻した。17ヶ月ぶりにチームがコヴェントリーで戦ったジリンガム戦には27,000人の観衆が集まったが、それ以降はSISUのオーナーシップに抗議する目的で、多くのファンが観戦をボイコットするようになる。

そしてSISUが下したリコー・アリーナ退去の決断は、深刻なファン離れ以外に、もう一つの重大な事象を招く。

移転当初、空き家となったリコーに関心を示すチームはなく、株式を買い叩くというSISUの目論見は成功するかに見えた。

しかし20149月、コヴェントリーのリコー帰還と同じタイミングで、ラグビーユニオンのロンドン・ワスプスがスタジアム所有に名乗りを上げる。市議会はこの提案に乗り、翌月には2100万ポンドで自身が所有するACL株式を全て売却。さらにその翌月にはアラン・エドワード・ヒッグス・チャリティも持ち株全ての売却に合意し、コヴェントリーへの移転を決めたワスプスが瞬く間にリコー・アリーナの完全所有者となったのだ。

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今度はワスプスからスタジアムを借りる形になったSISUは、しかしながら、市議会に対して激しい怒りを露わにする。株式売却価格の2100万ポンドを不当に安く見積もられた額だと主張し、法廷闘争を提起したのである。

これが二度目の退去へと繋がっていく。幾度となく喫した敗訴の数々にも関わらず、SISUは上告に次ぐ上告を繰り返し、5年以上経った今でも訴訟を継続している。昨年にはイギリス最高裁で最終判決(完全敗訴)が下ったものの、遂には欧州委員会に苦情申し立てを行い、徹底抗争の構えを崩さなかった。

18/19シーズンの終了と共に、ワスプスとの間で交わした賃貸契約の期限が訪れる。
SISUはあくまで市議会のみを相手取った訴訟だと主張したものの、そのしつこい動きに苛立ちを募らせたワスプスは、訴訟を取り下げるまで新しい賃貸契約の交渉には応じないと宣言したのだ。

結局SISUは訴訟を続け、EFLが定めた期限までに合意はなされなかった。

一時はリーグ追放の可能性まで出たものの、最終的にはバーミンガムが手を差し伸べ、2年の延長オプション付きのグラウンドシェア契約が交わされた。

こうして泥沼化した状況、ファンの絶望と呆れが交差する中で、6年ぶり2度目のジプシー・シーズンが幕を開ける。

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【団結】

「最初は落ち着きませんでしたが、今はもう慣れましたよ。これを言い訳にはできないというのは、シーズンが始まった日から皆で共有していた認識です。常に与えられた状況の中で結果を出すのが僕たちの仕事ですし、スタッフや遠くまで足を運んでくれるファンのためにも、良いシーズンにするために努力しないといけないですから」


シーズンを振り返るクラブキャプテン、MFリアム・ケリーの言葉からは、困難な戦いに立ち向かった選手たちの芯の強さが垣間見える。明らかに通常のキャリアでは経験し得ない状況に際して、コヴェントリーの選手たちは、称賛に値する精神力でもって試合に臨んできた。

今シーズンの開幕戦、セント・アンドリュースで行われたサウスエンド戦に集まった観衆は6,534。その後観客数は増加傾向を見せ、3月初めのサンダランド戦には1万人を超えるファンが詰めかけたが、それでも昨シーズンホーム最終戦の13,549という数字を考えれば、ファンのSISUに対する根強い不信感が容易に見て取れる。

だが彼らは、毎週身を粉にして戦う選手・スタッフを見捨てていたわけではなかった。今シーズンの平均観客数ランキングを見ると、ホームの動員数がリーグ14位(6,677人)に留まる一方で、アウェイではサンダランドらビッグクラブを抑え堂々のリーグ1位(10,446人!)を記録。歪んでしまった世界の中でも、ファンと現場の間には強固な信頼関係が存在していた。

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もちろんそれは、快進撃を続けた選手たちのピッチ上での躍動によっても深まっていった。

今シーズンのコヴェントリーが武器としたのは、「守備から攻撃を作る」支配的なスタイルだった。積極的なプレッシングでボールを奪い、そこから何本ものパスを回して攻撃を組み立てる。まさに時代の最先端を行く戦い方だ。

その成功はデータにも表れている。失点数(30)はリーグベストの数字で、34試合で14度のクリーンシートを記録。1試合平均で許したシュート数(9.8)もリーグ2位タイの数字だった。
得点数(48)は他の上位陣と比べると誇れるような数字ではないが、それ以上の堅守があったからこそ、13のドローに対し敗戦数はわずか3という「負けない強み」が生まれた。

またその意味では、セント・アンドリュースのピッチがもたらした皮肉な好影響も無視することはできない。
ラグビークラブとの共用のため芝丈が長いリコーに比べ、セント・アンドリュースには(2チームが使っているとは思えないほど)管理の行き届いたピッチがあった。リーグ戦ホーム17試合わずか1という成績も、決して偶然の産物ではない。

そして何より、その完成されたフットボールを作り上げた指揮官の功績に触れずして、このコヴェントリーの優勝を語ることはできないだろう。

「(シーズン打ち切りでの優勝決定は)もちろん望ましい方法ではなかったですが、次善の策ではあったと思います。パンデミックで多くの人が命を落としたことを決して忘れるべきではありません。それでも我々はシーズン3敗しかしておらず、選手やスタッフは皆信じられない働きをしてくれました。今まで率いてきた中でも最高のグループです」


マーク・ロビンズ50歳。古くからのマンチェスター・ユナイテッドのファンなら、1990FAカップ3回戦、知る人ぞ知る「ファーギーを土壇場で救った男」としてその名を記憶していることだろう。

12/13シーズンにもコヴェントリーで指揮を執り、シーズン途中でハダースフィールドに引き抜かれるまで驚きのPO出場争いを演じた実績を持つ彼は、16/17シーズンの3月に2度目の監督就任を果たした。

そのシーズンは時間が足りず、チームの4部降格を食い止められなかったものの、就任翌月にクラブにとって87FAカップ以来のタイトルとなるリーグトロフィー優勝を果たす。

次の17/18シーズンにはLeague Two6位に入り、プレイオフを経て昇格。昨シーズンはプレイオフ争いにも絡もうかという8位に入り、今シーズンはリーグ優勝。毎年シーズンオフに主力を売り、リーグ屈指の低予算で運営しているクラブとしては、もはや異様とも言える好成績を残し続けている。

「過去2年間はプレイスタイル、プレイ哲学を根付かせるための時間でした。その中でLeague Twoからの昇格を掴んだことは、とても嬉しかったですよ。素晴らしいスタッフにも恵まれています。以前、我々は私のナショナルスクール時代からの友人であるスティーヴ・テイラー(元アシスタントマネージャー)を失いました。19歳の時に脳出血で倒れた経験を持つ彼は、昇格したシーズン(17/18)の開幕時に練習場で再び倒れ、コーチ業引退を余儀なくされました。本当にタフなことでしたが、代わりにチェルシーから来てくれたアディ・ヴィヴィーシュが素晴らしい働きぶりで、代わりを務めてくれています」

「選手たちも本当に勇敢です。私たちからの多くの要求に応えてくれるだけの能力があります。何せ我々はこの3年未満の間に、3度もスカッドの大規模な再構築を強いられたのです。それでも素晴らしいアカデミーを有効活用し、移籍市場でも上手な立ち回りができました。2018年にマーク・マクナルティ(→レディング)を売った時のお金も、かなり経営に貢献してくれましたね」


ロビンズとヴィヴィーシュという対照的な性格の2人がトップに立つチーム体制は、多くの選手に安心感と一種の帰属意識をもたらしているという。22歳のMFゼイン・ウェストブルックは、若手中心のチームにおける2人の影響力をこう語る。

「僕や他のみんなにとって、彼らはとても大きな存在でした。連携の取れた指導陣でしたし、それに耳を傾ける聞き分けの良い選手たちを集めたという意味でも、今シーズンの成功の大きな鍵だったと思います」

「彼らのスタイルは所謂『良い警官・悪い警官』のそれで、とてもやりやすいですよ。もしどちらかに腹を立てることがあってもそれをもう片方に話せますし、2人ともオープンで誠実な人なので、皆両方ではないにしても、少なくともどちらかとは非常に良い関係を築いています。選手としては理想的な環境ですよね。話したいことや問題がある時は、やっぱり自分の中に溜め込むのではなく、それを打ち明けられる人がいたほうがいいですから」


ピッチ外での騒乱をよそに、ロビンズらコーチングスタッフは常に物事を俯瞰した目線で捉え、正解を出し続けた。
積み上げてきた土台、適切なマネジメント、そして夏のフリー/ローンを駆使した賢明な補強。予算が限られているからこそ、泣き言を言うのではなくその効果を最大化させることに注力し、120%の結果を引き出した。

そうして、チーム内に真の絆が生まれた。

これこそが今シーズンのコヴェントリーの最大の武器であり、最も誇るべきものであり、どんなビッグクラブも札束を叩けないプライスレスな資産だった。

ウェストブルックが続ける。

「試合中は他のチーム同様に言い合いをすることもありますが、ピッチ外では今までに見たことがないほど親密なチームでした。僕たちはせいぜい9ヶ月くらいしか一緒に過ごしていないわけですから、これは性格面まで考慮したリクルート戦略の賜物だと思います。選手間の繋がりがあるのはチームとして本当に重要なことです」

2月のロッチデイル戦、アウェイに駆けつけたファンと共に最も派手に勝利を喜んでいたのは、レギュラー格にも関わらずこの日は遅い時間の交代出場に留まったMFジョーダン・シップリーだった。「自分のためではなく、チームのため」。試合後はドレッシングルームで “Sweet Caroline” が流され、ロビンズをはじめとするコーチ陣全員が合唱に加わった。

229日、選手たちは日曜の試合を控えた前日にDFカイル・マクファージーン宅に集まり、各地の試合結果を見届けた。当時首位のロザラムの引き分けに、彼らは沸き立った。翌日のサンダランド戦、開始2分の先制点でもって、コヴェントリーは首位に立った。

中断前最後の試合となったイプスウィッチ戦、FWマット・ガドンの得点後に彼らが見せたのは、時代を先取りした「肘ハイタッチ」だった。今シーズン披露した奇妙なゴールセレブレーションの数々も、選手たちがピッチ外で過ごした時間の濃密さを象徴している。


チームの年間最優秀選手に選ばれたのは、ヴィヴィーシュに誘われ今シーズンから加入した24歳のDFファンカティ・ダボだった。
チェルシーのアカデミーで育ち、ローンレンジャーとしてこれまでの数年間を過ごしてきた彼の言葉には、考慮すべき重みがある。

「僕が戦うのは、もはや勝利するためですらありません。チームのためです。コーチやスタッフ全員を含めて、『チームのため』です。家族同然の存在ですから。他のどのクラブを見渡してもこのようなグループはないと思います。普通ドレッシングルームでは、1人か2人は目を合わせづらい選手がいるものです。でもここでは皆が団結していますし、本当にそれが楽しくて、僕の中でとても大きな要素になっています。ハッピーな気持ちでいられなければ、ハッピーにプレイすることなんてできません。だから今は素晴らしい状況なんです」

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Home Sweet Home

8年ぶりにチャンピオンシップで戦うシーズン、コヴェントリーがホームゲームを戦う場所は、現段階ではまだ決まっていない。

欧州委員会に持ち込まれた裁判の行方は、両者が機密保持契約にサインしているため、外部からは情報がわからない状況になっている。一つだけ確かなのは、まだ訴訟が進行中であるということだ。


良い傾向はある。ワスプスはコヴェントリーの優勝に際して祝福コメントを発表しており、シーズン中にはCEOのスチュアート・ケインがマッチデイゲストとしてセント・アンドリュースに来場したこともあった。コヴェントリーとワスプスの間柄は、以前ほど険悪ではなくなっているのかもしれない。

また市議会との関係にも変化が見られる。SISUは権利関係の複雑なリコーを放棄し、市内に新スタジアムを建設する計画を以前から打ち出しているが、その候補地選定作業に市議会が協力しているという報道が出ているのだ。

これが事実だとすれば、一連のスタジアム問題における大きな前進を意味する。リコー建設時に端を発するこの問題は、言ってしまえば徹頭徹尾クラブと行政の関係がうまくいっていないというだけの話であり、それが協力関係に戻るのだとすれば、一気に解決まで進んでいく可能性もある。

ただもちろん、新スタジアム建設は未だ候補地選びの段階。それに足るだけの資金があるかどうかさえも定かではなく、何より次のシーズンは、もう1,2ヶ月もすれば開幕してしまう。


前述の通り、バーミンガムとのグラウンドシェア契約には2年間の延長オプションがある。コヴェントリーが望めば、「スタジアムなし」という最悪の事態だけは避けられる。

実のところ、何もかもが最悪だったシックスフィールズ時代に比べれば、セント・アンドリュースでのグラウンドシェアは比較的快適なものだったという。

前述のプレイ面でのメリットに加え、バーミンガムは地理的に多くの選手にとって車通勤が可能な範囲にあり、試合後のドレスコードもスーツネクタイが必須だったリコー・アリーナ時代よりも緩かった。

また試合日のホスピタリティ業務にはバーミンガム・シティのスタッフも加わっており、試合前後にはクラブ名やロゴの入った種々の備品を取り換える必要があったが、そもそもそれはワスプス所有後のリコー・アリーナでも同じだった。

ファンにしてみれば、バーミンガムはノーサンプトンよりもいくばくか近いし、今度の移転は(当然SISUの落ち度が一番大きいにせよ)頑固なワスプスの責任でもある。

ロンドンからコヴェントリーにホームを鞍替えし、100年以上続く地元クラブのスタジアムを掠め取った上、そのくせ大した結果も残せていないワスプスは、コヴェントリーの街で確固たる人気を獲得しているとは言い難い存在だ。



では、来シーズンもセント・アンドリュースでプレイすればいいのか?

言うまでもなく、愚問である。



1月、世にも奇妙なFAカップの対戦が実現した。4回戦に進んだコヴェントリーが引き当てたホームタイの相手は、なんとバーミンガム・シティ。普段座らないアウェイエンドでバーミンガムファンがはしゃぐ中、最初の試合は引き分けに終わり、「同じスタジアムでのリプレイ」という珍事までもが発生した。

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フットボールファンの間でライトな注目を集めたこの出来事は、一方で、コヴェントリーの現状を深く憂う人々にとってのダークモーメントでもあった。
“Sky Blues Trust” のボードメンバーの一人で、52年に渡ってコヴェントリーをサポートしてきたというニール・ホワイト氏は、試合を前にこう語っていた。

「彼ら(バーミンガム)はホームを持たない我々にスタジアムを提供してくれていますし、それによって我々のクラブは生かされているようなものですが、この試合を『愛の逃避行』などと茶化すことや、一種のパーティー的な雰囲気を作るのは違うと思います。少なくとも我々は『楽しい一日』とするべきではありません。こんな状態には二度となってほしくないからです。フットボールは家族や友人を内包し、街のチームは巡業サーカスではなく、コミュニティの中心にいるべきです」


バーミンガムへのバス手配を手伝うファンのギャリー・スタッブスによれば、コヴェントリーの街からセント・アンドリュースへ向かうバスは、残酷にもまずリコー・アリーナの隣を通過するのだという。
「あそこでの最初の試合は本当に良い思い出です。QPRとの試合で、23,000人も入ってね。目に入るもの全てが薔薇色に見え、新時代の夜明けだ、もう上がっていくだけだと思いましたよ。今にして思えば、あれが全ての始まりではあったんですけどね」

「ノーサンプトン時代は酷いものでした。私は行かなかったですし、大半の知り合いがそうしていましたよ。今回はワスプスからプレイするなと言われただけなので、当時ほどの敵意は持っていません。でも観戦を拒否しているファンはいますし、その考えも十分にリスペクトできるものです。『コヴェントリー以外でホームゲームを戦うコヴェントリーの試合は見ない』という大原則があってのことですからね。残るオプションがある中で出ていくことを選んだノーサンプトン時代には、私も同じことを考えていましたから」

同じくファンのダレン・ラムジーは、街の子どもたちへの影響を危惧している。

「個人的に最も悲しいのは、今ロビンズがやっているフットボールは、もしコヴェントリーに残っていれば14,00015,000人の観客を呼べるだけのものだということです。若い人が自分の街のクラブへの愛を育む機会が奪われているわけですから、どうしようもありませんよ。私の子どもも地元のチームでプレイしていますが、練習の時にコヴェントリーのユニフォームを着てくるのはウチの子だけで、他は皆マンユナイテッドとかリヴァプールの服です。既に地元の子どもたちが地元のクラブに関心を持っていない。この状況が続けばその数はもっと増えると思います。だからすぐに戻ってくるべきなんです。本当に戻れるのかはわからないですけどね」


リコー・アリーナのウェブサイトを見ると、シュールな現状が浮かび上がる。直近のイベント開催予定はドイツの過激派ロックバンド “Rammstein” のパフォーマンスで、その他には物流資材の見本市、住宅測量業界フェア、屋根ふき材・被覆材・断熱材のショーといったイベントの告知が並ぶ。

一方で、街最大のフットボールクラブに関する記述は、どこにも見当たらない。


コヴェントリーの街は、コヴェントリー・シティを必要としている。ピッチ上で見せた優美を、ピッチ外で見せた結束を、街の人々は求めている。

今シーズンのコヴェントリーが残した成績は、より多くの人が誇りに思うべき偉業だ。
彼らは優勝どころか、過去53年間トップ5フィニッシュすらなかった落ち目のクラブだった。流れが変わろうとしている。時代が訪れようとしている。そのために必要なものは、真のホームだ。



2020年、マーク・ロビンズの挑戦は、新たなチャプターに突入する。

「今、このクラブは『生き残る』段階から、『繁栄する』段階に進もうとしています。秘めたるポテンシャルは大変なものがあります。現状でさえ、『ホームゲーム』を見るために5,000人もの人々が隣町まで来てくれているのですから。何をどうしてでもクラブをコヴェントリーに戻さなければいけません。そしてそのためには、今やっていることを継続していくしかありません。我々のメソッドを従順に守り、ピッチ上で結果を出し、一つになってやっていくということです」





【参考文献一覧】

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