このタイトルに関心を抱き、わざわざクリックして記事を開いてくれた皆さんには大変申し訳ないが、この下にある本文に進む前に一つお願いしたいことがある。
別のタブを開き、「スコールズ」と打ってweb検索をかけていただきたい。
おそらくはポール・スコールズのWikipediaのページが最上部に出てきて、そこからは個人差こそあれ、だいたい彼の選手時代を振り返る記事や、今回取り上げるオールダムの監督辞任を報じる記事が出てくるはずだ。
「あのスコールズがたった31日で監督を辞めた!」。この事実がそれなりのニュースバリューを持っていることは、誰の目にも明らかだ。だからこそ日本のメディアも、おそらく所属選手など1人も知らず、普段は誰も気にしていないオールダムの監督人事をわざわざ記事にした。
私の調べた限りでは、この件についての続報は、おそらくどの日本語メディアにおいても記事になっていない。「スコールズはせっかく子どもの頃から好きだったクラブの監督になったのに、無能だったか飽きっぽいのかよくわからないが、たった31日でその仕事をほっぽり出した」。これに近いイメージが一部の人の中に形成されていたとしても、まったくもって不思議はないだろう。
今回の記事の目的は、そういったイメージを持ってしまった人が日本にいたと仮定して、彼らが抱いたスコールズに対する悪印象を払拭することにある。
なぜなら、最初こそ食いついた日本語メディアが報じなかったその先に、今回の事象を紐解くのに役立つクラブ内部の実情が多数報じられているからだ。
【嘘】
その一報が舞い込んだのは、3月14日のことだった。就任後最初の試合こそ勝ったものの、その後6試合で3分3敗。監督業への適応に苦しんでいるとみられていたポール・スコールズは、首位のリンカーンに敗れた2日後、突如自ら辞意を表明した。
「このタイミングでの辞任という決断には大変後ろ髪を引かれる思いがある。ファン、選手、そして友人や家族は、私がこの仕事に就けたことをどれほど誇りに思っていたかを知っていた。この生涯を通じてサポートしてきたクラブの監督職を、せめて当初契約を交わした18ヶ月の間だけでも全うしたかった」
「しかし残念ながら、指揮を執り始めてすぐに、この環境下では私の意図した通り、そして期待していた通りの仕事ができないということが明らかになった。ファン、選手、そして素晴らしいスタッフたちには、残りのシーズンに幸運が待っていることを願う。そしてこれからも、このクラブを見守り続け、ファンとしてサポートし続けていく」
スコールズは辞任の決断を下すにあたり、オーナーのアブダラー・レムザガムを失望させた。彼はレムザガムに対し、礼の限りを尽くして直接その思いを伝えようとはせず、それどころか電話で自らの声を聴かせることすらせず、メッセージアプリの “WhatsApp” で辞意を伝えたのだ。
その事実、そして先のステイトメントに一瞥をくれるだけでも、スコールズとレムザガムの間に築かれた信頼関係を推し量るには十分であろう。当然、相手方には相手方なりの言い分がある。辞任の翌日、レムザガムはクラブ公式サイトに以下のような声明を載せた(一部抜粋)。
「私やクラブで働くスタッフは、ポールをサポートし、彼が望んだ全てのものを提供し続けてきました。個人的にもポールが下した、あるいは相談してきた全ての判断に賛同していたし、その度に彼こそが適任だと再確認してきました。結果にかかわらず彼をサポートし続け、その立場は安泰だと伝え続けてきたのです。だからこそ水曜日の午後、彼がテキストで簡素に辞意を伝えてきて、その後一切の話し合いを拒絶していることには、とても驚いています」
曖昧が生じる余地すらない、完全に相反する2つの主張である。これは認識の違いなどではなく、完全にどちらかが嘘をついているということを意味する。
こういった場合人間には、自分にとってより馴染み深い方の意見を信用してしまうバイアスが働く。つまり今回は自然とスコールズ側の肩を持ってしまうということになるが、それらは往々にして無根拠で、間違っている場合も多い。
しかしこのケースに限っては、偶然にもそのバイアスは正しく作用している。内実を詳しく見ていく分だけ、このアブデラー・レムザガムという男の言い分を信頼するのが難しくなるからだ。
【夢と現実】
モロッコ出身のレムザガムがオールダムのオーナーになったのは2018年1月のこと。彼はそれまで “Sport 2JLT” というエージェントカンパニーで選手の代理人を務めていた人物で、主なクライアントにはかつてACミランやポーツマスで活躍したサリー・ムンタリ、オランダリーグ得点王の肩書を引っ提げミドルズブラにやってきたアフォンソ・アウヴェスなどがいた。
EFLのオーナーズ&ダイレクターズテスト(もうここで書くことすら辟易とするほどの無意味な言葉だ)をパスするためにエージェント職を辞し、「夢だった」と語るクラブ運営に乗り出した彼だが、その悪評が広まるまでにそう長くはかからなかった。
彼は他の悪質なオーナーたちとは違い、資金そのものはクラブに投入した。間違っていたのはその使い道だ。レムザガムは(まだ買収は完了していなかったが)昨シーズン開始前の段階から選手補強の実権を握っており、その2017年夏に彼の母語であるフランス語を操る選手が多くオールダムに加入したのは、決して偶然の一致ではない。
トゥールからやってきたMFのモハメド・マウシュは、3部の中では相当な高給の部類に入る週給£4,000で契約に合意した。それ以上に顕著な例がウイングのクインシー・メーニフで、ナントからのローンでLeague OneにやってきたオランダU21代表の彼は、まさしく破格と言っていい週給£11,500の契約と、マンチェスターのマルメゾンホテルの一部屋を与えられた。レムザガムは彼らの加入に際し、「ファンにプレゼントを、夢を見せたいんだ」と語っていた。
以下の記述は、私が適当な憶測を基に書いているのではないということをどうか信じていただきたいものだが、マウシュの昨シーズンのLeague Oneでの出場時間はたったの10分。それよりかはいくぶんマシだが、メーニフもわずか4先発に留まり、1ゴール1アシストを記録しただけに過ぎなかった。ローン契約であったことが本当にせめてもの救いだろう。
3月17日付のFLPでは、昨シーズン限りで退団したある選手の話が紹介されている。
「ある日そこには、文字通りスーツケースを携えてプレイヤーラウンジで座って待つ10人の若者がいた。監督が何をしているのかと聞くと、彼らは『ああ、僕らはトライアルを受けに来たんです』と言うんだ。誰も彼らのことを知らないし、どこから来たのかもわからない。もちろん彼らはチャンスを掴みに来ただけだから、何の罪もないんだけど…。でも誰一人として水準レベルには達していなかった。監督が会長のところに行ってそのことを伝えても、その時にはもうアブデラーは彼らに2年、3年の契約を与えてしまっているんだ。結局入団してくるわけだけど、みんな彼らが役に立たないことはわかっている。そして『なんで俺は2年契約を貰えないんだ?』と思ってしまうよね。どう考えてもチームにはマイナスだったよ」
チームの週給総額は1シーズンの間に100万ポンドも上がった。とはいえ、選手補強に失敗はつきもの。資金自体は存在し、それをちゃんと使っているのであれば、通常の場合他の問題は起こらない。
しかしどういうわけか、オールダムには深刻な財政問題が発生した。レムザガムの就任後、選手やスタッフに対する給料の支払いは6ヶ月連続で遅れ、車にガソリンを入れられないという理由で遅刻した選手まで出た。同僚たちがクリスマスプレゼントを買えるように、スタッフの1人はわざわざクレジットカードを切ったとも報じられている。
少なくない数のエージェントがクライアントのオールダムへの移籍を拒否するようになり、ピッチ管理会社とのいざこざは正式に法廷に持ち込まれた。料金支払いがうまく行かず、1週間携帯電話が使えなくなったスタッフもいた。アウェイゲーム用に販売したチケットの売り上げも、シーズンが終わってもなお相手クラブに支払えない状況が続いた。そして当然、税金の支払いも遅れた。レムザガムは過去の放漫な財政のツケを支払い終えたところだと強がったが、それは本来、無駄な選手補強の前に取り組むべき問題である。
彼にはもう一つの悪癖があった。それはチームへの介入を好むということだ。
ホームでのサウスエンド戦、オールダムは1点ビハインドでハーフタイムを迎え、レムザガムはドレッシングルームへと向かった。彼はチームをサポートするためだったと語るが、ある目撃者によれば、彼は一言も発することなく部屋中を見渡しそのまま出ていったといい、ある選手が二度と同じことをしないよう苦情を申し立てたという。オールダムはこの試合に0-3で敗れた。
ウィンブルドン戦前の練習では、ある選手がスタメン落ちを告げられ、他の選手にも聞こえるほどの大声で悲嘆にくれた。練習が終わった後、その選手は滞在先のホテルの前で、チームメイト全員に謝罪させられた。
MFのウスマン・ファネは、シーズン残り2試合という状況で会長に呼び出され、「規律面での問題」を理由に今後のベンチ外を通告された。レムザガムは当時のリッチー・ウェレンズ監督から彼が不要だと訴えられ、チームをサポートするためにこの決断を下したと主張するが、ファネはそれまでシーズン46試合に出場していた主力中の主力だった。プレミアリーグ創設メンバーの一つでもあるオールダムは降格が決まり、1971年以来となる4部でのシーズンを過ごすことが決まった。
降格は彼らの財政状況をより厳しいものにした。ウェレンズ監督をはじめとする現場だけでなく、裏方のスタッフも含めた多くの人間がクラブを去ることを余儀なくされた。マンズフィールドに移籍したFWのクレイグ・デイヴィスは、退団後のインタビューでこう語っている。
「不確かな未来の中ではあるが、クラブにいる全ての素晴らしい人たちに幸運が訪れることを願っている。14年間プロでやってきたけど、躊躇なくあんなやり方でスタッフや選手を扱うことのできる人間の下で働いたことはなかったからね。あれでは選手だけでなくオフィスのスタッフの士気にも影響が出てしまうよ。素晴らしい監督だったリッチー・ウェレンズのことが不憫でならない。彼は会長によって両手をがんじがらめにされていた。オーナーのことはどうでもいいが、クラブには良い未来が待っていることを願う」
ウェレンズの後任として監督に就任したクラブレジェンドのフランキー・バンは、0-6で敗れた12月のカーライル戦の後、メールで解任を告げられた。暫定監督となったピート・ワイルドは、FAカップでフルアムを破る結果を残したが、日常的にメンバー選考に際してレムザガムから介入を受けていたという。
このような状況の中で監督就任に心を傾けていたスコールズに対し、友人、サポーター、そして前任の監督たちといった人々までもが、彼に思いとどまるよう促した。それでもスコールズがバウンダリー・パークに向かったのは、そこがオールダムだったからに他ならない。彼にとってオールダムとは、マンチェスター・ユナイテッドと同等かあるいはそれ以上の思い入れを持つ特別なクラブであり、そこで指揮を執ることはやはり何にも代え難いものだったのだ。
その一方で、スコールズは対策を講じることも忘れなかった。2月に彼が交わした契約の中には、オーナーサイドからの介入を禁じる要項が盛り込まれていた。当初はその約束を守っていたレムザガムだが、「2,3試合」未勝利が続いたチームに遂に堪忍袋の緒が切れ、過去の過ちを繰り返すようになる。
スコールズの元には、スポーティングダイレクターを務めるレムザガムの弟、モハメドからメールが届くようになった。その内容は、1月に獲得したスペイン人ストライカー、ウルコ・ベラを使えというものだった。彼はアスレティック・ビルバオのユース出身という輝かしい経歴を持つものの、無数のクラブを渡り歩く中で未だどこにも定着できずにいる選手で、スコールズ体制下でも結局2試合に途中出場したのみに留まった。
3月初めには、チームの中の誰かを通じて、次の試合のスタメン情報がレムザガムに報告されたことが判明した。スコールズは激怒し、「もしそれが誰かわかったら、二度とそいつは使わない」と全員の前で警告を発した。
最後の決め手となったのは、ローンで加入していたDFのアレックス・アイアコヴィッティに対し、スコールズへの相談がないままに夏の完全移籍が約束されたことだった。1月に加入したアイアコヴィッティは、スコールズが辞任した段階で、まだデビューすら果たしていなかった。
それは彼にとって、あまりにも酷な現実だった。辞任の直前にあったベリーとの試合では、バス会社への支払いのもつれにより、チームバスが用意できないという事態に陥った。クラブはベリーに(選手の自家用車の)駐車用スペースが確保できないか問い合わせ、それも不可能との連絡を受けたが、結局直前になって代わりの輸送手段が見つかった。しかしある時には、選手が自家用車での移動を強いられたこともあったようだ。
スコールズの就任直前には行政の人間が練習場を訪れ、料金未払いを理由にガスの供給を止めていた。そのためスコールズの在任期間中、スタッフは洗濯を行うことができず、選手たちは自らユニフォームを持ち帰っていた。当然練習場では、シャワーすら使えなかった。ある日の記者会見の前、スコールズはちょっとコーヒーを煎れてくるとおどけてみせたが、こう付け加えるのを忘れなかった。「コーヒーメーカーが撤去されていなければね」。
このような環境の下で、人は新人監督に何を望もうと言うのだろう。そこには明らかに歪なパワーバランスが発生しており、監督としての能力を測ることができるような場所ではない。
レムザガムは約束を破り、クラブ内の境界線をあやふやにした。それでもウェレンズ、バンといった前任の監督たちは、積み上げた名声や十分なレピュテーションがなかった分だけ、彼の介入に耐え続けた。スコールズは違う。彼は既にフットボール界の歴史に名を残すレジェンドで、何よりその解説ぶりからもわかるように、物事に対してしっかりと声を上げるタイプだ。我慢をする必要など、どこにもなかったのだ。
辞任後、 “BT Sport” の解説者に復帰した彼は、オールダムでの日々について次のように語った(一部抜粋)。
「介入やスタッフについてのいろんな噂を聞いていた。最初の3週間はまだ耐えうるレベルのもので、『こいつじゃない、こいつを使え』みたいな話はそんなになかった。もちろんそれは些細なヒントだったけど、私も彼が何をしようとしているか気付かないほど馬鹿ではない。最後の週に複数の選手の問題が起きた。クラブが考える彼らの扱いに、私は同意できなかった。言い合いなんてしたくなかった。選手のことは本当に大好きで、とてもリスペクトしているし、彼らのためなら何だってできた。しかし一度でも『彼をプレイさせるな』と言われてしまったら、それはもう終わりなんだ。たった一度しかなかったことだが、起きた時点で終わりなんだ」
"You always think you might be the one person to change it."— Football on BT Sport (@btsportfootball) 2019年4月13日
"Once I get told "Don't play him"... Then it's time to go."
No hot water and a LOT of other frustrations...
But still no regrets.
Paul Scholes gives an honest view of his time as Oldham boss 🙌#PLTonight pic.twitter.com/GUlj8BHAhF
【責任】
センセーショナライズされただけの見出しからでは読み取れないことだが、ポール・スコールズの監督としてのキャリアは、決して閉ざされたわけではない。ギャリー・ネヴィルとスコールズを同列に扱うのはあまりにアンフェアな話であり、無責任な言説だ。
もっともスコールズの場合も、次はより注意深くクラブの運営状態を見た上でオファーを見定める必要がある。
スコールズの辞任に伴い、再び暫定監督となったピート・ワイルドは、その後正式監督に昇格した。しかしシーズンが終了した直後の5月7日に、やはり彼も自ら辞任を発表した。その理由は「個人的理由」とされているが、それがどういった性質を持つものであるかを想像するのは、ここまで読んでこられた皆さんには簡単なことだろう。オールダムは降格1年目のシーズンを14位で終えた。
「名選手、名監督にあらず」とはよく言われる言葉だ。当然のことではあるが、選手に求められる資質と、監督に求められる資質は完全に異なる。だからこの格言には、一定の合理性は担保されている。
そしてもともとの注目度が高い分、今回のような場合に際して様々な伝えられ方をされてしまうのも、一種仕方のない話だ。フットボーラーがセレブリティの仲間入りを果たしつつある昨今、スター選手はある意味で食いものにされる宿命を背負っていると言うこともできるだろうし、良くも悪くも目立ってしまう。
問題はその後である。3月14日に彼が食いものにされるのは仕方ないにしても、ではなぜ彼はたった31日で監督を辞めるなどという不可解極まりない行動に出たのか、この当然現れるべき問題意識を持ってリサーチを重ねれば、その背景にある真実は必ず見えてくる。
確かにイギリスでも、当日は辞任の事実だけを伝えたメディアが多かった。しかしその後すぐ、BBCでも、Skyでも、デイリーメールでもデイリーミラーでも、スコールズが辞任に至ったオールダムの内実に迫る論説が展開された。実際にこの記事も、それらに書かれている情報や、スコールズ就任以前にオールダムの問題をリポートした記事の情報を基に構成している。
先に述べたように、日本のサッカーメディアにおいて、「スコールズが辞めた」以上の情報を報じているところは調べた限りなかった。私のリサーチが甘いだけであった場合は申し訳ないが、せいぜい出てくるのは辞任時のステイトメントを載せている記事くらいで、あえて具体名は出さないでおくが、中には「スコールズが解任された」などという明らかに誤った情報を未だに掲載し続けているサイトも複数ある。
それらは確かにセンセーショナルで、読者の食いつきを見込める情報だ。そしてポール・スコールズの名は「オールダムの監督をすぐ辞めた」という枕詞とともに、面白おかしく語られる。ここが遠く離れた日本で、おそらくスコールズ本人の耳には届かなくとも、人一人の評判が、不十分な調べに基づいて書かれた情報によって著しく損なわれる。
そこには当事者意識が欠落している。「一次ソースを見る」という行動が以前に比べてポピュラーになってきている時代とはいえ、それが別の言語であればそこにあたることが難しいという人は当然多く存在していて、そういった人たちにとっての唯一と言ってもいい情報源が日本語で書かれたサッカーメディアになる。その記事は海外の新聞社の記事を翻訳してまとめているだけかもしれないが、間違いなく発信には責任が伴う。
このようなインターネットの片隅にあるブログで呼びかけることを甚だしい思い上がりだと認識した上でこの一文を添えるが、いい加減に海外サッカーを報じる日本のメディアは、点と点ではなく点を線で結ぶ報道を意識し始めるべきではないだろうか。一時のクリックの重要性は十分に認識しているつもりだ。しかしそこに責任と三次元の想像が伴われなければ、罪のない誰かを痛めつけることになりかねない。
このブログも、誰かに仕事として頼まれて書いているわけではない。単なる個人的な趣味で、スコールズの辞任の背景が気になって調べた結果様々なことがわかったので、それを少しでも多くの人と共有するために書いているだけだ。逆に言えば、その程度の認識で調べているだけでも、既に8000字を超えるだけの情報を集められているのだ(明らかにブログの一記事には適さない文章量になってしまっているが)。
「スコールズが辞めた。一見彼に問題がありそうに見えるが、その裏には大きな問題を抱えるオーナーの悪質な介入があったようだ」。これだって十分興味をそそるタイトルではないのか。何よりスコールズをよく知る人たちにとって、ポジティブな内容だ。
私のように、これならばまた監督をやるチャンスがあるかもしれないと思う人もいるだろうし、どんな理由があったとしても31日で辞めてしまったというのはダメだと思う人もいるかもしれない。それは個人の解釈に拠る部分だが、重要なのは、しっかりと読者に対してフェアな判断材料を提供することだ。
この長文に最後までお付き合いいただいた皆さんには、心からの感謝を述べたい。兎にも角にも、この記事を通して私が強調したかったことはただ一つ。ポール・スコールズの初めての監督生活が31日間で終わった裏には、それ相応の理由があったということだ。
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