自らの愛に背を向けたファンの戦い ブラックプールを笑顔が包んだ日【後編】 - EFLから見るフットボール

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自らの愛に背を向けたファンの戦い ブラックプールを笑顔が包んだ日【後編】

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【差し伸べられた救いの手】

16/17シーズン、4部にまで降格していたブラックプールは、昇格プレイオフに進出した。ウェンブリーでの決勝戦、相手はエクセター。2010年、カーディフを破りプレミアリーグへの昇格を決めた際には、実に37,000人のサポーターがウェンブリーで喜びを分かち合った。
しかしそれから7年後、ブラックプールはこの試合のチケットを5,000枚しか捌くことができなかった。

通常は誰もが夢見て、孫の代まで語り継ぐような思い出となるウェンブリーへの遠征も、この時のサポーターにとっては、オイストン一家の悪行を世に知らしめるチャンスと捉える以外に、道はなかったのである。




League Twoで過ごしたこのシーズン、ホーム試合での平均観客者数は3,456人で、リーグ17位。24チーム中、ブルームフィールド・ロードはリーグで5番目に大きなキャパシティを持っていたことを考えれば、この数字の異様さが伝わるだろう。もっと言えば、これらはあくまで公式発表の数字であり、実際の様子を見ていた人に言わせれば、各試合の「発表された入場者数」は、明らかに水増しされた数字だったという。

ブラックプールファンによる観戦ボイコットは、2シーズン目に突入していた。


サポーターズトラストは、あのハダースフィールド戦以来、“NAPM”という名前のキャンペーンを呼び掛けていた。NAPM、即ち“Not a Penny More”。一円たりともクラブに金を落とさず、守銭奴であるオイストン一家の退陣を促そうとしたのだ。金を落とさない一番の方法は、もちろん試合のチケットを買わないこと。これが自然とボイコットに繋がった。

ただ、このサポーターズトラストの考えに異を唱える者こそ皆無だったが、中には試合の観戦を続けるサポーターもいた。生涯ブラックプールを応援してきたというフランシス・ウォームズリーは、アンチ・オイストナーでありながらも、ボイコットが成功する可能性を見出せずにいた。

「行かないという選択をするファンの考えもわかる。彼らはオイストンズを追い出そうとしているのだからね。しかしそれがクラブ売却に繋がるとは思わない。どこの誰が買うと思うんだ? それこそ『フラッシュくずれ』のクラブなんだ。それなら試合を見る方を選ぶね。私は今80歳で、ボイコットに加わったら、もしかしたらもう二度と試合を見られないかもしれない。ここ数年が酷かったのは事実だけど、それでも試合を見に行くのは楽しいし、これからも同じだよ」

『フラッシュくずれ』という言葉。これはウォームズリーが話した前の週に、他でもないカール・オイストンが“TalkSport”で使った言葉だった。しかし両者の認識の中で異なる点は、ウォームズリーがクラブの修飾語として用いているのに対し、カールは抗議を続けるファンを修飾する言葉としてこれを持ち出している。

「彼らは代案を持たず、何も提示せず、ただスタジアムに来ている真のファンを批判し、嘲笑い、攻撃したいだけの集団だ。抗議者の数は先細り、関心も先細り、今や彼らは『フラッシュくずれ』も同然だ。何も示さない以上、彼らは飽きるまで、永遠に使い古された美辞麗句を並べ続けるだけなんだ」

ボイコットには参加せずとも、極力NAPMの趣旨に賛同するために、スタジアム内では飲食物やグッズを絶対に買わないようにしていたサポーターもいた。

サポーターズトラストは、NAPM運動が徐々に戦局を動かしていることを確信していた。カールの卑劣な扇動はさしたる効果を生まず、実のところボイコットに参加する・しないにかかわらず、サポーターの気持ちは既に一つになっていたのだ。誰もが忘れなかった信念、それは「オイストン一家から私たちのクラブを取り戻す」ことに他ならなかった。



エクセターとの戦いを制し、3部に戻ってきたブラックプールを待っていたのは、同じ苦しみを分かつ「真の」フットボールファン仲間だった。

昨年914日、ブラックプールとチャールトンのファンが一堂に会し、ブラックプールに程近いプレストンにあるEFL本部の外で大規模な抗議デモを行った。

チャールトンは2014年にベルギー人実業家のローラン・ドゥシャトレによって買収されたが、その不可解な経営によってチームは3部に降格し、彼が幾度となく約束してきたクラブ売却も未だ果たされていない(先日、ドゥシャトレがEFLに対しクラブを1ポンドで買収するよう要求し、にべもなく拒否されたことは記憶に新しい)。

EFLはこのデモに対し開催許可を出し、CEOのショーン・ハーヴィーと直接対話する機会を設けることを約束した。話し合いの場が開かれたこと自体には好意的な声が上がったが、彼らサポーターが最も求めていたのは「トーク」ではなく「アクション」であったことは言うまでもない。
だが、共に同じ悩みを持つブラックプールとチャールトンのサポーターは、互いの力を合わせることで、小さくとも確実な一歩を踏み出した。

今年の元日、ブルームフィールド・ロードには、約8,000人のサンダランドサポーターが訪れた。彼らは何年にも渡る悪夢からようやく解放され、スチュアート・ドナルドの下での驚くほど希望に満ちた日々を謳歌している。

しかし彼らにとって、失われた苦い記憶を取り戻すのは、さほど難しいことではない。Netflixを開くだけで、その忌々しい思い出はすぐに蘇る。彼らはようやく暗黒時代に終止符を打ち、3部への降格という決して小さくない代償こそ支払ったものの、それを補って余りある豊かな日々を過ごし始めたばかりのファングループなのだ。

クラブとの連帯という得難いものを手にした彼らにとって、一度ピッチを離れれば、そこに敵も味方もない。試合を前に、サンダランドサポーターの間には、ブラックプールの抗議活動に参加しようという動きが広がった。

迎えた2019年、戦いは、終わりを迎えようとしていた。


キーマンとなったのは、ヴァレリ・ベロコンだった。かつてはオイストン一家と蜜月の関係にあった彼は、2015年9月、自身が投じた資金の不正流用を理由に、一家に対して訴えを起こしていた。2年後の8月にダイレクター職を辞した彼は、その3ヶ月後に高裁から「オイストン一家が彼の筆頭株主としての権利を不当に侵害した」との判決を勝ち取り、一家は3127万ポンドを支払いベロコンの会社からクラブの全株式を買い取るよう命じられた。

最初こそ分割で代金を支払っていた一家だったが、徐々に期限が守られないようになり、今年2月の段階では未だに2500万ポンドが未払いのままとなっていた。この状況を受け高裁は、ブラックプールを管財人の管理下に置き、オイストン一家にベロコンへの支払いを強制したのである。

この話は、深入りすればするほど、眩暈がしてしまうようなディテールを持つ。
2018年の2月に会長職を辞任した(そして妹のナタリーにその職を継がせた)カールに代わり、事実上の最高責任者に復帰していたオーウェンは昨年、ベロコンが500万ポンドでクラブを買収する機会を断ったことがあると主張した。

しかしながら、2017年5月にキルギスタンで本人不在の中行われた裁判で、ベロコンはマネーロンダリングと脱税の罪で懲役20年を言い渡されているため、現在彼にはEFLのクラブのオーナーシップを握る権利がない。その後9月に行われたオーナーズ&ダイレクターズ・テストにも彼は不合格となっており、本人はEFLと協力の上で裁定を覆すための努力をしていると強調しているものの、ヴァレリ・ベロコンが今後EFLのクラブのオーナーとなることは恐らくないだろう。

言ってしまえば、悪人と悪人の戦いなのだが、それが転じてオイストン一家の逃げ道を塞いだという結末は、何とも興味深い。

225日。管財人、ポール・クーパーの手によって、オーウェン・オイストンとナタリー・クリストファーの両名が、ブラックプールのボードから除名された。後任のエグゼクティブ・ダイレクターには、1997年から10年間マンチェスター・ユナイテッドの営利事業部門トップを務め、クラブの売上高を6700万ポンドから3億100万ポンドにまで増加させたベン・ハットンが任命された。

ノン・エグゼクティブ・ダイレクターに任命されたイアン・カリーは、以前ブラックプールのシーズンチケットホルダーだった。
極めつけに、クーパーはボード内の「ファン代表者」として、ティム・フィールディングを任命した。騒動が過熱した時期のサポーターズトラスト会長で、カールからの脅迫を受け一度は会長の職を退いた彼は、この時トラストの名誉副会長に就任していた。オイストン一家は、惨めにも敗れ去ったのだ。

ブラックプールファンが待ち侘びた1日が、やってこようとしていた。


#BlackpoolAreBack

長らく使われていなかったスタンドが、ボランティアの手によって再び整えられた。憎々しげに掲示されていたオイストン家の不動産会社の看板は、跡形もなく消え去った。オーウェン・オイストンが地元紙に寄せた声明は、毅然とした態度で掲載を拒否された。

3月9日土曜日、相手はサウスエンド。それまでの平均の約5倍、15,871人のサポーターが、ブルームフィールド・ロードに戻ってきた。




今となっては神話のような、あのプレミアリーグで過ごした日々でさえ、これほどの雰囲気をもたらしたことはなかった。共に戦い、断腸の思いでスタジアムを去り、真のクラブ愛を貫き通した同志たちは、コンコースで、スタンドで、その再会を心から祝い合った。ボイコットに参加した者、しなかった者、それぞれがベストを尽くし、それぞれが自慢のブラックプールを取り戻そうとした。

彼らは今、再び巡り合った懐かしき顔の数々を見て、その肌の温もりを感じて、巨悪に対する確固たる勝利を互いに確認し合ったのだ。

試合前、スタジアムでは黙祷が捧げられた。この4年間の間に亡くなった、すべてのブラックプールファンを追悼するためだった。残念ながら、ボイコットが続く中で、ブルームフィールド・ロードに戻ってくることのできなかったファンもいた。それが唯一、何とも悲劇的で、救いのないことだった。

皆が万感の思いを抱く中で、試合が始まった。空同然のスタジアムでシーズンを戦い、プレイオフを狙える位置でファンを出迎えた選手たちは、降格争い中のサウスエンドを攻め立てた。しかし敵もさるもの、加入後膨大な数の負傷に悩まされたロブ・キアナンの負けず劣らず感動的な先制ゴールなどで、ブラックプールは1-2のビハインドで6分の追加タイムを迎える。

96分、そこにあったのは、ドラマでも見ないような幕切れだった。


思えばあのハダースフィールド戦も、最後はピッチインヴェイションで締め括られた。そしてこの日、ファンが戻ってきた試合でも、最後はピッチインヴェイションが起こった。

デジャヴ? それは違う。あの時、怒りに満ちた表情でピッチを占拠したサポーターは、4年の時を経て、この場所で心から喜びを爆発させたのだ。



【未来】

レイプの罪で有罪判決を受けた男をオーナーとして適格と認定し、私怨でクラブ運営を行っていると非公式ながら述べた男を会長職に居座らせ続けたEFLは、形式上一度破産したブラックプールに対し勝ち点12の剥奪を検討している。

確かにそれはEFLのルールブックに記載されている。しかし、そんなルールが何だと言うのだろう。ブラックプールのファンはもう十分に苦しんだではないか。
オーウェン・オイストンがパスできたオーナーズ&ダイレクターズ・テストのどこに、人々を納得させ得るだけの正当性があるのだというのだろうか。

EFLは熱心に不備の多いFFPルールの遵守を求める一方で、本当に助けを必要としているクラブに対しては冷ややかな態度に終始する。

チャールトンのファンが合同抗議に加わった理由がまさにこれだ。コヴェントリーが未だに最低最悪のオーナーグループSISUの管理下にあるのも理解に苦しむことで、ブラッドフォードの独裁者エディン・ラヒッチに対してさえ、遂に彼が自ら辞任するまでEFLは有効な手立てを打たなかった。

バーミンガムは現在12ポイントの勝ち点剥奪が濃厚となっているが、前オーナーのカーソン・ユンがマネーロンダリングの罪で有罪判決を受けてもなおEFLは静観を貫き、ようやく新オーナーが就任しクラブが移籍金を使える状況になったかと思えば、今度はFFPを持ち出してそれを規制する。
そして同一リーグ内に、選手たちへの給与支払いを延滞し続けるなどの数々の問題行為を現在進行形で行っているクラブがあるのにもかかわらず、そちらを無視してシーズンも佳境に入る3月に大幅な勝ち点剥奪を行おうとする。

控えめに言っても、これは一貫性を著しく欠いたリーグ運営だ。得をするクラブがどこだかは知らないが、損をするのはいつも既に虐げられているファンがいるクラブで、そこに本来英国人が最も重視する“Fairness”の精神はない。

ブラックプールがプレイオフに進出する可能性も、リーグの馬鹿げた判断によって、間もなく潰えるかもしれない。オイストン一家による31年間の支配は、ブラックプールの地に数多くの傷跡、そして負の歴史を残した。

しかし一つだけ、この世の誰をもってしても奪い去れないものがある。それはブラックプールファンの持つ希望である。



56歳の郵便配達人、ピーター・プラットが最後にブルームフィールド・ロードに足を踏み入れたのは、4年前に行われた結婚披露宴でのことだった。それ以降、彼は土曜日に仕事を入れ試合はラジオで観戦し、オイストン一家への抗議を行っていた。

「ファンは長くビターなオイストンとベロコンの法廷闘争に耐える必要があった。司法手続きというものは遅いプロセスで、これは永遠に終わらず、もう我々は二度とブルームフィールド・ロードでブラックプールを見ることはできないのかと思うこともあったよ。でもフットボール観戦に戻ってこられて本当に嬉しいね」

サウスエンド戦で4年ぶりの観戦を楽しんだ彼は、残り6試合のために、早速シーズンチケットを購入したという。プラットにはボイコットキャンペーン中も試合を観戦し続けた友人がおり、彼はそういった層に対しても理解を示す。

「確かに議論はあったが、一度も対立しようという気にはならなかった。50歳を過ぎて学ぶことの一つは、人生はあまりにも短く、フットボールほど些細なことで喧嘩している暇はないということなんだ。それぞれにそれぞれのやり方があり、もちろん私もやや自己満足ではあるかもしれないが、正当な行動をしたと思っているし、理性に則ってオーナー退陣のための手助けを少しはできたと思っているよ」

ディーン・ウィリアムソンは、4歳になる娘との試合観戦が待ちきれないようだ。

「ブルームフィールド・ロードに入る時は、泣いてしまうだろうね。4年間家で我慢していたけど、そのスタンスは墓場まで貫くつもりだったから。娘はもう全てのチャントを覚えていて、何度も試合に連れていってとお願いされた。その度に、なぜ行けないのかという理由を説明するのは、とても難しいことだったよ」

ダミアン・フィーニー神父はそれまで、200マイル離れたオックスフォードから車を飛ばし、途中ランカシャーで息子を乗せて毎試合観戦に出かけていた。神父は5年前、酷い内容でボーンマスに0-1で敗れた次の試合から、個人的なボイコットを始めた。

「これはただのフットボールの問題ではありませんでした。それはコミュニティの問題であり、モラルの問題だったのです。我々がそれに打ち勝つことができて、私はとても嬉しく、そして誇りに思います。これまで数々の不正が、人々に涙を流すことを強いてきたのですから」

歴史的な勝利を挙げたブラックプールのサポーターは、次なる課題に直面している。自分たちの手で取り戻した自分たちのクラブを、今後どこに導いていくのか。2年前のプレイオフで対戦したエクセターのように、イングランドにはサポーター主導の経営で際立った結果を残している好例が、少ないながらも存在している。ブラックプールもその後を追わなければならない。

いや、心配することはない。彼らはもう、道を切り開いた。不可能を可能にした。フットボールの力を示してみせた。

ブラックプールには未来がある。認めざるを得ないのは、それが31年間の負の歴史の上に成り立つものだということだ。地域コミュニティを代表する存在であるフットボールクラブが、オイストン一家のような恥ずべき存在によって蹂躙された31年間。しかし、それを乗り越えた今、人々の苦しみは将来への糧と変わる。必ず、変わっていく。

リーズを見るといい。ボーンマスを見るといい。マンチェスター・シティを見るといい。苦境はフットボールクラブを、その街を、そして人々の絆を強くする。

おめでとう、ブラックプール。彼らがこの先歩むべき道は、眩いばかりのオレンジ色に照らし出されている。






【参考文献一覧】(閲覧日等省略、順番は時系列順 本文中のコメントは以下の記事から引用しています)




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