FA会長グレッグ・クラークの恥ずべき辞任劇 FA復権の日を夢見た「70年代の白人」から学ぶべき教訓 - EFLから見るフットボール

FA会長グレッグ・クラークの恥ずべき辞任劇 FA復権の日を夢見た「70年代の白人」から学ぶべき教訓


 

「フットボールを愛し、そのために何十年もの人生を捧げてきた身として、今はフットボール界の利益を最優先にするべきと考えました」


「私が議会で発した容認できない言葉の数々は、我々の業界とそれに関わる全ての人々に害を及ぼすものです。それがここを去ろうと思った最大の理由です。フットボール界で懸命に働く多様なコミュニティの人々を攻撃してしまったことに、私は深い悲しみを感じています」



1110日、DCMS(デジタル・文化・メディア・スポーツ省)の特別委員会で見せた数十分間のパフォーマンスにより、グレッグ・クラークは驚くべき偉業を達成した。彼はあのボリス・ジョンソンが仕切る(Zoom上の)英国議会において、「建物内で最も時代遅れな男」の称号を奪い取ることに見事成功したのだ。


それはFA会長という誉れ高い職に就く者にとっての、紛れもない一発レッドカードだった。いや、実のところ彼には、累積9枚のイエローカードも貯まっていた。どんな謝罪も、上っ面の反省も、もう誰の心にも響くことはなかった。

 

グレッグ・クラークFA会長辞任。それは混乱と悲鳴に包まれた2020年の英国フットボール界を象徴する事件だ。問題の根源、求められるリーダーの資質、フットボール界が向かうべき方向。今回の事件に虫眼鏡をかざすことで、我々が正しい未来へ向かっていくための様々な示唆を得ることができる。


だからこそこれは、EFLから見るフットボール』で取り上げなければならない出来事なのだ。



 

発言に至るまでの状況

下院に所属する若手議員によって構成されているDCMSの特別委員会は、主に大臣への質問や公益性の高い問題への調査を行うことにより、各省庁の働きぶりを評価する目的で設置されている。最近の委員会では、11名の議員(保守党6名、労働党4名、スコットランド国民党1名)がオブザーバーとなり、「パンデミック下のスポーツコミュニティの損害」をテーマに審議が行われていた。


1110日、証人として召喚されたのはリチャード・マスターズリック・パリー、そしてクラークの3名。即ち、この日の委員会における最大の焦点は、プレミアリーグから下部リーグへの救済パッケージの進捗状況にあった。

最初にマスターズ、次にパリーが証言を行い、クラークの番は最後に回ってきた。彼にはプレミアリーグとEFLの双方を監督するFAの立場からの発言、また直近数週間の報道を席巻したプロジェクト・ビッグ・ピクチャーの「真の首謀者」としての役割(後述)についての詳しい説明が求められていた。


最初の失言はアレックス・デイヴィス・ジョーンズ議員(労働党)による、「特定のコミュニティグループの選手・スタッフの少なさを改善するために、今後何をしていけるか」という質問に対する返答から生まれた。


クラーク「(ピッチ上では)南アジアのコミュニティなどに比べてアフロカリビアンのコミュニティの選手が多く見られますが、FAIT部門に目を移せば、アフロカリビアンよりも南アジアの人々の方がずっと多くいます。彼らには異なるキャリアの関心があるのです


ここでは特段指摘が入ることはなく、デイヴィス・ジョーンズは「現役中にカミングアウトを行うゲイのフットボーラーの少なさ」という話題に移った。クラークはその原因をソーシャルメディアの無秩序に求めた。

 

クラーク「名高い女性フットボーラーたち、名高い“coloured footballers”たちがソーシャルメディア上で受けている攻撃は見るに堪えません。ソーシャルメディアが誰にでも使えるツールであることが問題です」


冗長な喋りが功を奏したか、ここでもデイヴィス・ジョーンズを含む多くの聴衆がその発言を聞き逃した。しかしカーディフウェスト選出のケヴィン・ブレナン議員(労働党)だけはその限りではなく、彼は自らの質問の順番を今や遅しと待ち構えた。


一方、デイヴィス・ジョーンズはカミングアウトに関する質問を続け、クラークは「ゲイとカミングアウトするかどうかは各々の選択」という考えを話し始めた。そこまでなら何の問題もなかったが、彼はこう言葉を続けた。(この発言は文脈をしっかりと読んでいただきたい)


クラーク「私が理想とするのは、誰しもがピッチ上を駆け回り、誰しもが胸を張って『私はゲイであることを誇りに思っており、とても幸せです。それは人それぞれの選択であり、私はそうすることで心地よい生活を送っているのです』と言えるような世界です。そういった人々がチーム内で支持を得られると信じたいですし、信じています」


デイヴィス・ジョーンズはここで質問を終え、ブレナンが話し始めた。

 

ブレナン「先ほどあなたは“coloured people”と言ったように聞こえましたが、もし正しければ発言を撤回していただけますか? フットボール界が実際は多様な価値観を重視しているのにも関わらず、その言葉はまさに共生社会を強く否定するものだと思われますが」

 

クラーク「3点説明したいことがあります。1つ目は…」

 

ブレナン「1つにしてはどうでしょう? 3つもいりませんよ」

 

クラーク「もし私がそう言ったのなら深く謝罪します。私はこれまで海外のいろんな国で働いてきました。その中でアメリカでも長年働いた経験があり、その時に“people of colour”という言葉を使うよう訓練を受けた経験があります。時に口を滑らせてしまうのは私の悪い癖です」



これで終わらないのがクラークの特筆すべき点だ。10分後、ダミアン・ハインズ議員(保守党)が行った「なぜフットボールをプレイする若い女子の数がアメリカよりも少ないのか」という質問に対し、彼はある女性コーチが「特にゴールキーパーをやる子が少ない」と言っていたと話し、その理由をこう説明されたと紹介した。


クラーク「若い女の子ですから… 単純に自分に向かってボールを強く蹴られるのが嫌なわけです」

 


なぜこれらの発言が問題なのか?

議会のHPで生配信されたこのやり取りはジャーナリストらによってすぐに拡散され、間もなくFAの広報が“coloured”発言について謝罪文を発表した。 



この“coloured”という言葉。和訳するなら、「有色(人種)」が最も適切だろうか。今回の騒動に対する反応には、「なぜこれが差別的とみなされるのかわからない」という意見が多く見られた。

ここではまず、レアル・マドリー・フェメニーノに所属するイングランド代表FWチオマ・ウボガグのツイートを参照する。なぜ“coloured”が問題なのかを理解する上で、彼女の行った説明は非常にわかりやすい。

 


第一に考えるべきは、“coloured footballers”という言葉には重大な誤解が含まれているという事実である。発言の文脈から考えるに、クラークはこの言葉を「白人以外の選手」という意味で使ったように見て取れるが、そうだとすると「白は色ではない」ことになってしまうのだ(これは日本語の「有色人種」という言葉に置き換えても完全に当てはまる)。

これはただ単純に誤りであるだけでなく、「(色ではないのだから)白こそがノーマルであり、それ以外は異質」という非常に有害な前提を肯定していると捉えられかねない。


白人以外の様々なコミュニティグループを一括りにする必要性も感じられない。黒人の選手が受けている差別のことを言いたいのなら、そのまま“black footballers”と言えばいいのだとウボガグは言う(blackと呼ぶのは差別的ではないかと考える人も多いが、説明的文脈であれば多くの黒人コミュニティ間でさえこの言葉が使われている)。またそうではなく、業界内の構造的差別の問題を訴えるためにどうしても一括りにしたいのなら、“person of Colour”という言葉を使うべきだった。


“coloured person”“person of Colour”. 一見些細な違いに見えるが、(クラークも意図せず言っているように)使用を奨励されているのは後者だ。これを理解するためには、アメリカや南アフリカにおける根深い人種差別の歴史を知る必要がある。

2015年、俳優のベネディクト・カンバーバッチが同様に“coloured”という言葉を公の場で発し、後に謝罪する出来事があった。発言は世界中で広く報道され、この言葉の持つ差別的な意味合いが改めて知られるきっかけとなった。


 

 

最後のTogetterまとめは事実上2番目のBBC記事をまとめたもので、英語が苦手な方にもわかりやすい内容になっている。アメリカ南部における人種差別を正当化したジム・クロウ法、そしてアパルトヘイトの下で白人以外の人に貼られた“coloured”のレッテルは、まさしく世界の負の遺産とも言うべき人種差別を象徴するような言葉なのだ。

 


イギリスにおいても、1970年代あたりまでは日常的に“coloured”が公の場でも使われていたというが、少なくとも2000年以降には使用を問題視する向きが確固たるものになっている。その証拠にアラン・ハンセンは、“coloured”と口にしたことが原因で、2011年にMatch of the Dayの解説者を降ろされている。


もっとも、その代替案が“person of Colour”でいいのかという議論はあって然るべきで、ウボガグも「これが究極的な解決策ではないと思う」と認めている。“person of Colour”は歴史的背景を持たない分“coloured”よりマシというだけで、様々なエスニシティグループを一括りにしてしまうこと自体の危うさは変わらない。

 


だがいずれにせよ、2020年に議会で“coloured”と言ってしまった後、「私は“person of Colour”と言うよう教育を受けた」と言い訳するような恥知らずには、一切の弁解の余地はない。

 

それだけではない。どうか思い出していただきたい。あまりの失言のオンパレードにFAの広報は手が追い付かなかったようだが、クラークはこれ以外にも、それ単体で職を失するに値する発言を繰り返していたことを。

 

このブログの読者の方には改めて説明するまでもないことだが(もしそうでないのなら、ぜひこの記事を読み返していただきたい)、「人種」という概念はその人個人の資質・性格・運動能力等を説明する上で一切の科学的根拠を持たない。

「アジア人は皆コンピューターが得意で運動が苦手」なわけもなければ、「アフロカリビアンは皆運動が得意でITが苦手」なはずがない。もし英国にアジアから来たフットボーラーが少ないのなら、見果てぬ極東の地のサッカー文化や経済的状況に考えを巡らせ、正しい形で自身の組織が持つ影響力を発揮するのがリーダーの役目だ。


クラークが「カミングアウトするかはどうかは人それぞれの選択」と言いたかったのなら、当然ここまでの問題にはなっていない(ちなみにAFP通信の記事では誤訳からかクラークがそう主張したことになっている。これでは問題が正しく伝わらない)。  

不幸にも現実はそうではなく、彼は「ゲイであることは人それぞれの選択」と宣った。選択の余地がないもので差別される不条理への訴えがようやく日の目を見始め、LGBTにまつわる問題が各所で議論されるようになったこの2020年において、「性的指向は選択できるものだ」などという認識が再興したのだ!


イギリスの人口における男女比がほぼ50:50であるにもかかわらず、性別間のフットボール参加率に偶然では済まされないほどの差が広がる状況下で、FAはその是正に向けた取り組みを熱心に行っている。

果たしてクラークの「女の子だから…」というセクシズムそのものと言うべき発言は、その取り組みにとっていかなる意味を持つのだろうか。そういった一見尤もらしくも、実のところジェンダー的かつ前時代的なステレオタイプこそが、これまで無数の女の子を、女性を、フットボールから遠ざけてきたのではないのだろうか?



FAが設立し現在も運営協力を行うレイシズム撲滅キャンペーン“Kick It Out”サンジェイ・バンダリ代表は、クラークのコメントを受け以下の抗議文を発表した。


「今日、グレッグ・クラークが発したコメントには、この上ないほどに失望しています。彼が口にした黒人及びアジア人を一括りにする“coloured”という言葉は何十年も前に時代遅れになったもので、今後も未来永劫歴史のゴミ箱に置かれ続けるべきです。ゲイであり続けることは、彼が言ったような『人それぞれの選択』ではありません。『女の子』がボールを強く蹴られることを嫌がるというカジュアルなセクシズムは誰が言っていたとしても唖然としてしまいますが、それが我々の国技のリーダーともなればなおさらです。何もかもが受け入れられません」

 



これは辞職に値する事象だったのか?

結論から言えば、答えは“Yes”でしかない。その説明をするためにはまず、グレッグ・クラークという人物のこれまでを振り返る必要がある。

Cable & WirelessCEOとして最初に表舞台に登場した彼は、複数企業における要職に就く傍らレスターの会長兼ダイレクターを1999年から2002年まで務め、その後2010年から6年間フットボールリーグ会長として従事した。FAの会長に就任したのは、20169月のことだ。


この間の彼の足跡を評価する上では、ピッチ上での功績に目を向けないわけにはいかない。2017年の男子U-17, U-20ワールドカップの同時優勝、2018年の男子・2019年の女子ワールドカップ双方における準決勝進出は、前任のグレッグ・ダイク時代からの明確な前進と受け止められた。また女性フットボールの参加促進・強化への取り組みは非常に先進的で、20193月のFIFA副会長選出時にも国内で大きな喝采を浴びた。


一方、ピッチ外のありとあらゆる場所(とりわけ議会)におけるパフォーマンスについては、就任早々からその資質を疑問視する声が上がっていた。


20169月、彼の文字通りの初仕事となったのは、結果的にサム・アラダイスを代表監督辞任に追いやるおとり取材事件だった。直後に勃発した児童性的虐待スキャンダルでは、DCMSでの証人喚問前に証言者のアンディ・ウッドワードに侮辱的な言葉を投げかけ、歴史的大事件に火に油を注いだ。

翌年、女子代表監督マーク・サンプソンによるエニ・アルーコらへの差別的発言が問題となった際には、同じくDCMSの特別委員会で制度的人種差別を「綿ぼこり」呼ばわりし謝罪、またアルーコの告発メールに対して「なぜ送ってきたのかさっぱりわからない。私を啓発でもするつもりか?」と返信したことも大いに批判された。



2018年にはウェンブリーをシャヒード・カーン6億ポンドで売却する計画を全面支持した。201910月に行われたDCMSの委員会では、8月にクラブ消滅を迎えたベリーの一件について、9月末に至るまで何一つ介入しなかったことを白状し、質問者から呆れられた。



極めつけが、まだ記憶に新しいプロジェクト・ビッグ・ピクチャーだ。リークの2日後、他人事のような口調で「首謀者」らを厳しく批判する声明を出したクラークだが、その後お馴染みのデイヴィッド・コン記者による立て続けのスクープにより、彼の初期段階からリーク直前に至るまでの能動的な関与が明らかになった。唯一謎に包まれていた「PBP真の首謀者」とは、他でもないFA会長のグレッグ・クラークだったのだ。


 

 

PBPにあたってクラークが担った役割は実に幅広かった。1月に始まったプロセス全体の指揮(順を追って会議にオーナーたちやマスターズ、パリーを招待したのも彼だ)、自らが執筆した第1版における「個人的意見を述べる」との但し書き、プレミアリーグ1,2の創設とEFLへのBチーム参入、そしてビッグ6へのプレミア離脱の提案。それ以前から似たようなアイデアが各オーナーたちの脳内にあったにせよ、それを具現化し、音頭を取ったのは紛れもなくクラークだった。



おそらくその腹心は、プレミアリーグ前CEOリチャード・スクーダモア時代に端を発する、英国フットボール界におけるFAの求心力低下に歯止めをかけることにあった。

放映権ビジネスによるプレミアリーグの世界的発展を主導し、強烈なカリスマ性を随所に発揮したスクーダモアの退任後、フットボール界は長きに渡りリーダーを求めてきた。その間、2019年にFIFAの副会長に就任し功績を称えられたクラークは、その名声を確固たるものにするため、FAの権威回復という最後のミッションに挑むことを決めた。


彼にとっては不運なことに、年明けからスタートした計画は世界的パンデミックによって最初の釘をさされ、リーク後にファンから集まった苛烈な反応がその失敗を決定づけた。「アメリカ人による侵略」というフレームを形成し逃げ切りを図ったことも結果的に悪手となり、コン記者による関与の第一報後に吐いた嘘によって、またも彼はその地位に似合わぬクライシスコミュニケーションの拙さを露呈した。

皮肉にもPBPは、「フットボール界の統治機能を独立したレギュレーターに任せるべきだ」という意見の優位性を高め、FAの権威をさらに失墜させただけだ。


つまるところ、彼はリーダーの器ではなかった。彼は差別主義者でも、稀代の詐欺師でもなく、ただ単に賢くなかったのだ。

その類まれな失言癖は、この2020年のグローバルスタンダードにおいては、会社の朝礼に立たせることすら躊躇せざるを得ないほどの致命的なものだった。フリーランスのダニエル・ストーリー記者はこの日のクラークのパフォーマンスを「『時代遅れのステレオタイプのビンゴカード』を完成させた」と称し、お馴染みのバーニー・ローネイ記者は「ブレザーを着たボラット」と形容した。


 


クラーク辞任の報に対し、「言葉狩りだ」とか、「私は“coloured”と言われても気にしない」とか、そういった感想を抱いた方もいるかもしれない。


こういった発言はいつ、いかなる場合でも絶対に許されるべきではない。でもだからといって、その辺の飲み屋で酔っ払った63歳の男性が同じようなことを言っているのを耳にしたとしても、その男性が通っている手芸教室に乗り込み運営者に彼の即時退会を要求するような人はいないだろう。そこに直接的に人を貶めるような意図がないことは明らかであり、それに対して全身の怒りを煮え滾らせる必要などないからだ。

「年齢を考えれば仕方ない」「誰でも口が滑ることはある」。それは飲み屋で偶然出会った63歳の男性に対しては、十分情状酌量の余地となる。


しかし英国議会で、FA会長兼FIFA副会長という肩書を背負い発言している63歳のグレッグ・クラークに対して、同じ弁明が通用するだろうか?


FAはダイバーシティやインクルージョンの向上、それ以外にも多くの社会貢献活動に対して、非常に先進的な取り組みを行っている。それは英国の国技たるフットボールの最高統括機関としての当然の責務であり、常に全ての見本となる姿勢を示さなければならない。


つい2週間前にも画期的な取り組みが発表された。BAMEコミュニティと女性の参入促進を目的とした「ダイバーシティ・コード」である。

批准したプレミアリーグの19クラブ(唯一見送ったサウサンプトンも原則には同意)、EFL・ウーメンズリーグの合計40クラブ以上は、ボードルーム内(BAME15%以上、女性30%以上)、またコーチングスタッフ(BAME25%以上、うち10%がトップチーム。ウーメンズリーグでは女性50%BAME15%以上)に採用基準を設けることとなる。


このコンテクストを踏まえると、クラークの失言の数々はより醜いものへと移り変わる。彼の今回の発言をそのまま放置するようなことがあれば、Kick It Outも、ダイバーシティ・コードも、全てがとんだ茶番劇に成り下がってしまうだろう。


あなたが“coloured”と言われて傷つかないのだとしても、グレッグ・クラークはあなただけにその言葉を語りかけたわけではない。英国フットボール界、引いては世界全体に対して、FAの代表として“coloured”と口にしたのだ。

FAの会長がバロンドール受賞者である必要はない。経済学の博士号を取得している必要もない。ただ、世界中の分断を呼ぶような、根深い社会問題に対しては必ずセンシティブでなければならない。再びローネイ記者の言葉を借りれば、FAのトップがそうした問題に対して不用心であるのなら、AppleCEOMacの電源の点け方を知らないようなもの」だ。


そして奇妙なことに、未だほとんどが男性で占められるFAのボードルーム選定プロセスにおいては、「ダイバーシティ・コード」などどこにも存在しないのだ。



当面の間は、現在ボード内最長在任期間を誇るピート・マコーミックがクラークの暫定的な後任を務める。プレミアリーグの法律顧問グループ会長を長く務める彼は、14/15シーズンにプレミアリーグ会長を務めるなど実績のある人物だが、高齢のため正式に就任する意向はないと見られている。

マーカス・ラッシュフォードが就任要請に応えるのはまだ何十年も先の話であるため、次のアポイントメントはFAが真の変化を主導する上で非常に重要な意味を持つ。時代遅れの「70年代の白人」ではなく、先進的で、ポジティヴな影響力を持つ「21世紀の人材」を選ばなければならない。


そしてその新会長には、クラークが残したかつてないほど困難な状況の舵取りという驚異的なミッションが待ち受けている。クラークの功績の一つに数えられていた財政状況は(もちろん彼の責任ではないが)今や火の車であり、リーグ間・チーム間の不和もPBPを喫機に激しさを増している。そして今回の事件でついたマイナスイメージも、しばらくは消えることがないだろう。

だからこそ、新会長を選出するFAのボードルームには、根本的な思考転換が求められる。「ビジネスのために“people of colour”という言葉を学んだ」と付け焼き刃の知識で発言するような人物ではなく、その問題を深く学ぶ姿勢を持ち、道徳的な教養に満ち溢れた人物を優先させる必要がある。それがビジネスマンであるクラーク、あるいは他のスポーツ機構を統治する同様の人材の足跡から学ぶべき最大の教訓だ。


フットボールはいつどんなときも、最も先進的な業界でなければならない。最も影響力を持ち、最も人々の平和に奉仕するものでなければならない。

グレッグ・クラークは、そのフットボール界を率いるべき人物ではなかった。ならば次、その恥ずべき失敗をどう活かすのか。


今、英国フットボールの決意が問われる。




参考文献一覧