サンダーランドこそ我が人生…だった ジョージ・ハニーマンが歩む新たな道 - EFLから見るフットボール

サンダーランドこそ我が人生…だった ジョージ・ハニーマンが歩む新たな道





8月からAmazon Primeで、『ホームに連れて行って』という番組が配信されている。18/19シーズンのリーズに密着したドキュメンタリー作品だ。

別にAmazonに宣伝を頼まれているわけでもないし、そもそもまだ見ていない方も多いと思うので、詳しい内容については説明しない。ただ一つ言えるのは、昨シーズンのリーズについて少しでも予備知識がある人にこそ、この作品を心からおすすめできるということである。

なぜなら、作中で描かれているのは、紛れもない真実だからだ。実のところ、これを制作しているのはリーズのアンドレア・ラドリッツァーニオーナーが所有するスポーツ配信サービス “Eleven Sports” の子会社で、そのバイアスは基本的に加味する必要がある。しかし身内の会社だからこそ、撮れるシーンもある。昨シーズンの出来事をある程度知っている身からすれば、ここで描かれるチーム内部の姿は実に興味深い。

そう、これはまさしく、イングランドのフットボールの世界で起きた出来事なのだ。


昨今のプレミアリーグは、世界のトレンドを反映した最先端の戦術と、世界中から寄せられる羨望の眼差しと、世界が気にも留めない欺瞞によって形作られている。そしてこの欺瞞は、ゆっくりとフットボール界全体を蝕み、積み上げてきた土台を腐食させ、偉大な文化を亡き物にしようとしている。その過程の途中経過を、我々は夏、ベリーの地で目撃した。

確かに『オール・オア・ナッシング』を見れば、世界一の監督の指導法と、欧州一強いチームが更なる高みを目指す姿を知れるかもしれない。
それ自体はまた別の価値があることだとしても、果たして「イングランドのフットボール」について知る上で、17/18シーズンのマンチェスター・シティの例を参照することは適切なのだろうか?

答えはNOだ。しかしここでの目的はその優劣をつけることではなく、一見「イングランドのフットボールクラブのドキュメンタリー」という尤もな共通項を持つシティとリーズのドキュメンタリーが、実は全く異なる世界を描いているものだという前提を再確認することにある。


プレミアリーグとEFLは、もはや完全に別世界だ。もっと言うと、ビッグ6とそれ以外が既に別世界である。逆に考えれば、これらの作品を見比べることによって、最も良い形で現状のイングランドフットボール界について学べるのかもしれない。

前置きが長くなったが、ようやく本題に入ろう。
フットボールのドキュメンタリーを「シティ・タイプ」と「リーズ・タイプ」に分類できるのだとすれば、我々は「リーズ・タイプ」の一つの完成形を既に目撃している(その日本語訳の酷さという点でも!)。Netflixで配信された『サンダーランドこそ我が人生』である。


こちらも詳しい内容の説明は割愛するが、とにかく様々な場所でこの作品への反響を聞いたのが、個人的にはとても驚いたことだった。

『サンダーランドこそ我が人生』で描かれているのは、基本的には多くのファンが見て見ぬふりをしたくなるような、残酷な現実である。状況はどんどん悪化の一途を辿り、様々なカオスが同時に進行していく。冷静に考えれば、「フットボールクラブでは起こりそうにもないこと」は一つも起きていないのだが、我々の心の奥底に眠る楽観的な感情が、結果として凄まじい認知的不協和を生んでしまう。

しかし、その残酷的な現実との対比で描かれるのが、常に希望を持ってチームを支え続けるファンの姿だ。彼らはどんなにチームが負けても、どんなに酷いことが起きても、土曜日には必ず試合をスケジュールに入れ、クラブのために祈りを捧げる。

フットボールは、こうしてイングランドで育ってきたのだ。


「強いチームを応援すればいいじゃないか」。特に海外スポーツを見ていて抱きやすいこういった価値観は、視聴を続けていくうちに人々の心から淘汰されていく運命にある。登場人物たちにとってのクラブをサポートする理由が、「強さ」ではなく「宿命」だということに、見ている誰しもが気付くからだ。

それこそが、「リーズ・タイプ」のドキュメンタリーから我々が学ぶべきことなのだ。そこにはフットボールだけがあるのではなく、街があり、人々がいて、その人々の象徴としてクラブのエンブレムが存在している。
選手たちは、その街の人々の思いを背負っている。だからこそ、どのクラブにおいても、地元出身の選手は特別な存在なのだ。

『サンダーランドこそ我が人生』でも、地元出身のある選手が主人公の一人として登場している。当時23歳、MFジョージ・ハニーマンである。

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【フラッグシップ】
「フットボール界にいる人はもうほとんど僕のことを知っている。でもあのドキュメンタリーで顔が知れたというのは、少し腹立たしいよ。選手からあれをやろうと言ったわけじゃないし、密着されている間は明らかに僕たちに余計なプレッシャーがかかっていた。正直(『1984』の)ビッグブラザーのような存在だったから、良い職場環境に繋がるものだったとは思えない。ピッチの結果に影響が出てしまったのも驚くべきことじゃないよ」

「もしハルから同じような撮影を受け入れようか考えていると言われたら、僕は真っ先に『良い番組にはなるかもしれませんが、絶対にフットボールクラブにとって良いアイデアではありませんよ』と忠告するよ」
8/25 FLP P3


この夏、ハニーマンは10歳の頃から在籍し、それ以前から愛してやまなかった心のクラブ・サンダランドを離れる決断をした。
移籍金は50万ポンド、行き先はチャンピオンシップのハル。形式上は3部から2部への移籍になるが、本人も含め誰しもが、これがステップアップだけを求めた末の選択ではないことを理解している。

あの17/18シーズン、ハニーマンはカメラの中だけではなく、実際にスタッツの面でも(相対評価として)印象深い成績を残していた。公式戦45試合出場はチーム1位、7ゴールはチーム2位タイ。それに加え、無気力が蔓延するチームの中で、彼が見せていた前向きな姿勢、上昇を目指す姿は、救いのないドキュメンタリーにおける視聴者にとっての一種の清涼剤のようにもなっていた。

もちろんそれは、ハニーマンが幼い頃から育んできた、サンダランドへの思いに起因するものだ。


ハニーマンは1994年、タイン川の南にある小さな街・プルドーで生まれた。それから10年後にサンダランドの下部組織に入団し、21歳の時にトップチームデビューを飾った。
もちろんその時チームはプレミアリーグにいたが、ハニーマンにとってのそれは数多ある付加価値のうちの一つに過ぎない。なぜなら、彼にとってのプライオリティは常に、赤と白のストライプを着てピッチに立つことにあったからだ。

ハニーマンがチームの中心選手になっていくのは、もはや必然のことだった。League One降格が決まった後の昨年5月、クリス・コールマンは次のようなコメントを残している。

「フットボール界に30年以上携わり続けてきたが、ことメンタリティに関して言えば、彼の右に出る者はいない。本当に素晴らしい性格の持ち主で、プレイすること、それもサンダランドでプレイするためにいつも必死だ。彼のような存在はそう出てくるものではない。仮に今チームがプレミアリーグにいたとしても、私は堂々と『ジョージ・ハニーマンを中心にチームを作る』と言えるよ。彼はそういうタイプの選手だ。まだ若く、プロになって50試合もプレイしていない。特別な少年だね」


18/19シーズン、コールマンの後を継いだジャック・ロスは、ハニーマンにアームバンドを託した。デビューから5シーズン目、大ベテランのリー・キャタモールグラント・レッドビターらを差し置いての抜擢だった。

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キャプテンとなったハニーマンは、しかしながら、スタジアム・オブ・ライトの観客席を二分する存在となった。降格に伴い、チームが近年慣れ親しんだ残留争いから優勝を狙う立場へと居場所を変える中で、彼は寄せられた期待とその器用さゆえに、不慣れな10番の位置に押し込められた。

あのデイヴィッド・モイーズに勤勉さを評価され、それまでずっと中盤の底でプレイしてきた彼は、どう見積もっても10番の選手ではなかった。右腕のアームバンドが青く輝き、その出自が皆に知れ渡ったことで、皮肉にもハニーマンは、「優勝候補としてはあまりにも攻撃の創造力を欠く」サンダランドの象徴とみなされるようになった。


愛と憎しみは紙一重だ。彼に向けられた批判はあまりにも偏屈で、逃避的で、結論ありきで構成されたものだった。「ポスターボーイ」、「スケープゴート」。それは誉れ高くもチーム内での確固たる位置を得た者に付きまとう、不可逆的な宿命だ。

昨シーズン終了後、ファンサイト “Roker Report” に寄せられた意見の一部を紹介する。



Paul the Mackem
「あまりにも多くの選手があるべき出来に達していないが、未だに彼(ロス)はその選手たちに固執している。ハニーマンなどは二度とプレイするべきではないが、あろうことかキャプテンまで任されている。彼は地域リーグレベルの選手だ。彼は丸見えのところに隠れていて、シーズンの後半にはチャンスも外しまくり、守備面でもチームに迷惑をかけた」

Ricky Johnson:
「『いつも90分間全力を出し切れば、必ずファンは君を愛す』。サンダランドファンが語られる時、ファン、選手、解説者の口から何千回と聞いた言葉だが、これはウェアサイドに蔓延る最大の嘘だ。それは気の毒なジョージ・ハニーマンを見ればすぐにわかる。私はSAFCを応援し続けて30年になり、その間に何人もの狂った選手、腹立たしい選手、金目当ての選手を見てきたが、その誰もが受けたことのないような批判をハニーマンは受けている。正直に言えば、これはとても恥ずかしいことだ」

「プレミアシップから降格した時、私はハッピーな気持ちになった。全ての傭兵たちが出ていき、フレッシュなスタートが切れる、若くハングリーな地元出身の選手たちを中心に新たなモデルを構築できると思ったからだ。実際それはまだ道半ばだが、それでもこのような批判をする人々に言いたいことがある。ハニーマン、(リンデン・)グーチ、(イーサン・)ロブソンたちはよくやっている。それなのにチームがうまく行っていない時の彼らへのリアクションはあまりにも過剰だ。ハニーマンはクラブを代表する存在で、真にこのクラブを愛している。彼をスケープゴートにしている人々のうち一人でも、彼以上にこのクラブの成功を祈っている人間がいるのだろうか?」

「私はTwitterで、何人かの友人をブロックした。それは彼らがほぼ毎日ハニーマンやグーチ、ロブソンらへの不満を言っていたからだ。そういう人々はここ3年間で数えるほどしかスタジアムに行かず、一部のツイートに影響されて、大声で不満を吹聴していた。もしハニーマンの出来が悪いのなら、スタメン落ちするなり売られるなりする。でもただTwitter上で、彼のことが嫌いだと言っているだけではだめだ。その結果として彼がクラブから叩き出されるようなことは、決してあってはならない。よく聞く言葉は『彼はゴールを決めても生み出してもいない』というものだが、それが20ゴール20アシストではないにしても、彼は十分よくやっている。トップ下の位置で20ゴールやら20アシストやらをできる選手が、League Oneにいるわけがないのだから。自分たちの立ち位置を自覚し、選手たちの成長に期待しないといけない」


【正しい選択】
「今年サンダランドを離れることになるなんて考えもしなかったけど、残留するなんて一種クレイジーですらあったし、コンフォートゾーンから抜け出すチャンスを貰えたことはありがたいよ」

「サンダランドではアカデミー出身の誰もが夢見るような日々を過ごせたし、今まではあのクラブが僕の人生の全てだった。10歳の時に入って、そこからトップチームに昇格して、生涯の友人もできてキャプテンにもなれた。サンダランドファンとして、これ以上のことがあるかい? 選手としてプレイしている間は頭を切り替えて、ファンとしての視点は一度忘れる必要がある。でもこれからもずっとサンダランドのことは気になるだろうし、サポートもしていくよ」
8/25 FLP P3


ハニーマンの移籍について考える上では、まずこの夏にサンダランドが置かれた状況を考える必要がある。

ジャック・ロスは夏の早い段階から、新シーズンに向けスカッドの縮小を希望していた。そこには新戦力補強、あるいは週給総額なども含めた財政面の事情も大いに絡んでいたことは言うまでもない。

その目的でサンダランドのメンバー構成を見比べた場合、やはり真っ先に目が行くのは、混雑した中盤の事情だった。結果としてリー・キャタモールは6月の段階でVVV(オランダ)への移籍が決まり、ハニーマンも移籍金を残す形で放出された。

1シーズンでの2部復帰に失敗した彼らにとって、才能ある選手を上部リーグのクラブに売却し、そこで得た移籍金を経営に役立てるメソッドを確立するのは、実際のところ必要不可欠なことだった。逆説的に言えば、ハニーマンは他クラブから見て、最も価値があるサンダランドの選手の一人だったということだ。

だから、「ファンがハニーマンを追い出した」とまで言うのは、おそらく間違いだ。25歳になった彼本人にも、当然一つでも上のディヴィジョンでプレイしたいという気持ちは一定程度あっただろうし、サンダランドのクラブ事情が彼を換金するという選択肢を現実的なものにさせたのも事実である。

いかなる事情であれ、事実として、ジョージ・ハニーマンはクラブを去った。中盤でそつのない働きをする彼は、もういない。高給を提示されてサンダランドにやってきた外国人とは違い、クラブへの真の思いを持ってプレイしていた彼は、もういない。どんな時もファンに向き合い、スケープゴートとして指を差され続けた彼は、もういない。

失って初めてわかるものがある。


ハルへの移籍が決まった後でさえ、彼はサンダランドに対して真摯であり続けた。サンダランドでU-23チームの責任者を務めるエリオット・ディックマンが、興味深い証言をしている。

「ジョージという人間を雄弁に物語るのは、彼がアカデミーのスタッフ全員に贈り物を残していったということだ。彼はこれまでのキャリアをずっとここで過ごしてきたわけだけど、そのことにとても感謝の気持ちを持っている。ワインのボトルと粗品をくれて、スタッフ全員が本当に喜んでいた。アカデミーだけじゃなく、彼が関わったファーストチームのスタッフにも用意していたようだね。ジョシュ・マジャも移籍する時に同じようなことをしていて、彼もそれを参考にしたのかもしれない。彼が過去のことに対してそういう気持ちを持ち続けているのは、とても喜ばしいことだよ」



ハル移籍後のハニーマンは、加入して間もなかった開幕戦を除き、リーグ戦全試合に出場している。サンダランド時代には遂に見つからなかった適正ポジションも、ハルでは新監督のグラント・マッキャンが4-1-4-1のシステムを採用する中で、ひとまずは中盤右のセンターという定位置を掴んだ。

だが本人も言っているように、この後どのようなキャリアが未来に待っていようとも、彼の心の在り処はきっと変わらない。なぜならその場所は、彼が人間としての成長期を共にし、フットボールに対するフィロソフィーを育み、一生忘れ得ぬ経験を積んだ場所なのだから。

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【ファンと選手】

一見すれば、サンダランドファンとハニーマンとの関係は、とても奇妙なものに映る。彼らは同じルーツを持ち、片やスタンド、片やピッチと戦う場所こそ違うものの、共に同じ目標に向けて戦う仲間でもあった。だが、このような一致が昨今のフットボール界においてそう頻繁に見られるようなものではないのにもかかわらず、最終的には一部ファンからの一方的な敵意を生む結果を迎えた。

しかし実のところ、こういったファンと選手の関係は、ノースイーストに限らず国中で、あるいは世界中で発生し得るものだ。相互に抱く(半ば無意識な)信頼、そして選ばれた選手だけが築くことのできるファンとの特別な絆が、要求と現実の間の境界線を曖昧にさせる。

私はこの原稿で、ハニーマンに理不尽な攻撃を加えた一部のサンダランドファンを糾弾したいのではない。上で挙げたハニーマンを擁護するファンの考えとは違い、アカデミー出身の若手選手に厳しい意見をぶつける人々の根っこにある感情も、サンダランドを強く憂慮する気持ちだったのだろうと思う。

それが選手であれ、監督であれ、経営陣であれ、クラブ内の何かを批判するという行為には、それ相応の愛が必要なのだ。ファンは、物理的にピッチに立つことができない自身の身代わりとして、ユニフォームを着た選手たちにその思いを託している。選手は、ファンの期待を一身に背負って、ピッチの上で戦う。

これが、イングランドで育ってきたフットボールだ。

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その点で言えば、ハニーマンはファンが最も容易に自身を投影しやすい選手の一人だ。誰よりも理想的で、誰よりもファンに近い。誰よりも目立ち、誰よりも大きな期待をかけられる。ジョージ・ハニーマンは、間違いなく、サンダランドにおける唯一無二の存在だった。

それが結果的に、少しでも彼をサンダランドからの退団に近付けてしまったのだとすれば、私は現代フットボール界における不埒な潮流を恨まずにはいられない。
なぜなら、彼のスペシャリティをより際立たせたのは、ジャック・ロドウェルのような志の低い選手であり、パピー・ジロボジディディエ・エンドンのような降格した途端に移籍を求め、挙句練習にも来なくなってしまう選手たちだからだ。

「逃げている」、「やる気がない」等のハニーマンに向けられた批判は、裏を返せば他の選手への、もっと言えば低迷を続けるチーム全体へ向けられた言葉なのだ。チームを代表してそれを受け止めるのが、実際には最も勤勉で責任感に溢れる選手だという事実は、著しく不公平で与しがたいことだ。だが現実として、それは起こり得る。

だからフットボール界には、不可侵な領域がある。その不可侵な領域を保つことで、ファンは選手個々人のパーソナルを尊重し、一定の線引きをキープし続けることができる。それがドレッシングルームであり、日々の練習場であり、選手たちのプライベートな生活だ。


『サンダーランドこそ我が人生』の撮影を好意的に思っていなかった選手は、実はハニーマンだけではない。ベテランのジョン・オシェイによれば、彼自身だけでなく、99%の選手たちがドキュメンタリーのカメラが入ることを嫌がっていたという。


一方でこの夏にリーズからローンでやってきたDFローラン・デボックは、ドキュメンタリーを見てクラブに好感を抱き、加入を決めたのだという。彼だけでなく多くの人が、サンダランドという地域のフットボールにかける情熱、また(一部の)選手たちのひたむきな姿に心を打たれたであろうことも、また事実である。


しかしことハニーマンに限って言えば、ドキュメンタリーの中で描かれた彼の肖像は、あまりにも完璧すぎた。今のフットボール界が渇望している全ての要素が、映像の中に描かれたジョージ・ハニーマンには詰め込まれていた。

現実を生きるハニーマンは、おそらくもっと人間なのだ。溢れ出すサンダランド愛だけを特効薬に、どんな苦難にも打ち勝てるようなサイボーグではなかったのだ。

誰が悪いわけではない。だが愛と愛の掛け算は、常に愛の二乗を生み出すわけではない。それが現代フットボール界の悲劇的な方程式であり、現実の縮図なのである。

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ハニーマンはまだ25歳、これから選手としてより多くの栄光を掴む時がやってくる。

サンダランドは今シーズンも3部で理想通りとは言えないスタートを切ったが、彼らの底力を知らぬ者はいない。彼らは依然としてビッグクラブで、近いうちにあるべき場所へと戻ってくる。

運命の赤い糸が一度ほどけたとしても、それを結び直せない理由はない。ボタンの掛け違いがあったとしても、この世に外せないボタンなどない。人生は一度きりだが、その中において、やり直しは何度でも効く。

フットボール界は、彼らに試練を与えた。その試練を乗り越えた時、サンダランドとハニーマンの新たなストーリーが始まる。
“Sunderland till I die.” ジョージ・ハニーマンのための言葉である。

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