"We've got Billy!" 「頭の中のネズミ」と戦い続けた勇敢なストライカーの肖像 - EFLから見るフットボール

"We've got Billy!" 「頭の中のネズミ」と戦い続けた勇敢なストライカーの肖像


「人生における最大の目標は、僕がなれる限りでのベストな人間であり続けること。でもフットボール界にいる限り、その目標は実現できません。それが決断に至った理由です」

今日も世界の片隅で、人知れず靴を壁にかける選手がいる。完全燃焼した者、キャリアに未練を残した者。去り際は人それぞれで、次なる活躍の場もまた人それぞれだ。

しかし彼らには、「一度は人生の夢を叶えた存在」だという共通項がある。

フットボーラーという肩書きを、多くの人は成功者の証だとみなす。「好きなことを仕事にしている」、「誰もが羨む存在になれる」。程度の差こそあれ、それらの理由は往々にして事実であろう。

それでは、「夢を叶えた人々」であるフットボーラーは、皆が皆幸せなのだろうか?

少なくともビリー・キーには、特筆すべきストーリーがある。

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【告白】

129日、29歳のビリー・キーは、10年間の現役生活にピリオドを打った。
彼が最後にアクリントン・スタンリーの一員としてプレイしたのは昨年4月のプリマス戦でのこと。1ゴールを決めたその試合以降、ついぞ彼がピッチ上に姿を現すことはなかった。


キーはファンに愛されたストライカーだった。レスターのアカデミーで育った彼は、2009年にプロ契約を結んだ直後にローンに出たアクリントンを皮切りに、キャリアの大半をランカシャー地方のクラブで過ごした。

15/16シーズンに復帰したアクリントン・スタンリーは、結果的にキーにとって最初と最後の所属クラブとなった。彼がレジェンドとしてのステイタスを確固たるものにしたのは17/18シーズン。小規模クラブとしては奇跡とも言うべき快進撃でLeague Two優勝を果たしたチームの中で、キーは25ゴールを決めリーグ得点王に輝いた。
3月のルートンとの首位攻防戦、91分にボックス外から決めた決勝点は、今でもファンの間で語り草となっている。


人口35,000人ほどの小さなアクリントンの街で、キーはその名を知らぬ者はいないほどの存在になった。いつしかアクリントンのファンは、こんなチャントを彼に用意した。

“We’ve got Billy, Super Billy Kee, I just don’t think you understand!” (俺達にはスーパー・ビリー・キーがいるんだ、お前らにもその凄さを教えてやる!)
“He plays for Stanley, He’s better than Messi, We’ve got super Billy Kee!” (奴はスタンリーでプレイしてるけど、メッシにも負けてない! 俺達にはスーパー・ビリー・キーがいるんだ!)




キーはアクリントン加入から4シーズン連続でリーグ二桁得点をマークし、League Oneに昇格した18/19シーズンにも公式戦16ゴールでチーム得点王となった。

しかしフットボーラーとして確固たる地位を築いた彼には、同時に一人の人間としての限界が近付いていた。彼の心はその少し前から、フットボーラーであり続けることを拒絶していたのである。


201710月、キーは“Times”George Caulkin記者によるインタビューの中で、自身が抱えるうつ病の問題について勇敢な告白を行った。

この5ヶ月後、彼はBBCに対しても自身の問題をオープンに語り、英国中からの大きな称賛と支援の声を集めることになる。


「僕は昔から強迫観念に囚われたり、ギャンブルなどにのめり込んでしまったりと、常にその類の問題を抱えながら生きてきました。それは多くの場合うつ病や不安障害の症状なんですが、その時は気付きませんでした。実は僕の母親もうつ病だったんですが、自分がなった時に最悪だと思ったのは、これは実際には診断のしようがない病気だということです。この病気のことを100%理解している人なんかこの世にはいないし、ただ一般的な説明を聞かされるだけなんですから」

「他のクラブではずっと自分に嘘をついていました。嘘の人生を送って、幸せそうな笑顔を作っていたんです。休息が必要な時もありましたが、周りの誰もがちゃんと理解はしてくれませんでした。『君はフットボールをプレイしてるじゃないか。最高の仕事だし完璧な人生、完璧な家族じゃないか。目を覚ませよ』ってね」

はっきりとした症状への自覚はこの1年前、201610月のアウェイ、ケンブリッジ戦で生まれた。このシーズン、キーは開幕前から不調に苦しんでいた。

「ホームシックになったと思って、監督にレスターに帰らせてくださいと頼みました。でもレスターに戻っても何も気分が変わらない。そこで『自分はフットボールに関わりたくないんだ』と悟りました。憎くなっていたんです」

キーはケンブリッジ戦でゴールを決めたが、この時、彼はもう正気を失っていた。1-2でビハインドを負ったアクリントンは、PKを獲得した。普段PKキッカーを任されていたキーは、蹴るのが怖くなり、その仕事を他の選手に譲った。止められた。

その後もう一度、アクリントンはPKを獲得した。キーの心は再び、ペナルティスポットに向かうことを拒否した。先ほどとは違う選手が蹴り、そして止められた。アクリントンは1-2で敗れた。


「それから2日間は、ベッドから出る気がしませんでした。月曜日はスマホの電源も切って、誰とも話をしなかったのを覚えています。そこに母親が大丈夫かと聞きに来てくれました。『そんなに大丈夫じゃない』と言うと、『それは本格的になんとかしないといけないよ。ビル、私はあなたを失いたくない』と」

遂に彼はオーナーのアンディ・ホルトと監督のクリス・コールマンにそれを打ち明けた。1週間の休暇が与えられた。

「その後一度はチームに戻りましたが、やっぱり練習場に近付きたくもないという気持ちは変わりませんでした。1試合プレイした後に、妻に引退しようと思うと話しました。妻は『ならそうしよう』と言ってくれました。(ビリー)『お金はこれからどうしよう?』(妻)『それもなんとかするから』。なら完璧じゃないかと思いましたが、それでも心のつっかえはまったく取れませんでした」

「眠れない日が続きました。頭の中でネズミがずっとぐるぐると回っているような強迫観念に囚われるんです。誰に対しても怒りっぽくなって、妻や息子など誰彼構わず当たるようになりました。でも息子は3歳で、当然当時の僕にとって気に障ってしまうような声や行動をするわけです。僕は最愛の息子のそばから離れました。その内自分を子どものように扱ってくる妻にも嫌気が差して、別れようという話になったこともあります。僕にとっての全てである母に電話をして、離婚についても相談しました」

「(同じくうつ病を告白した元リヴァプールのGKクリス・カークランドが車に乗っている時の自殺願望について話していましたが、その気持ちはとてもよくわかります。さすがに実行するには至りませんでしたが、そういう気持ちにはなりましたから。家で身を投げようかとも思いましたが、その時にふと思いました。『俺は何をしてるんだ? なんでこの女性(妻)は未だにそばにいてくれているんだ?』と」

フットボールを離れ、キーは父親と共に1週間建築現場で仕事をした。午前7時に起き、新鮮な空気の中で肉体労働を行った。この1週間はとても楽しく、よく眠れたという。

友人とともにパブに行き、兄弟と5人制サッカーにも興じた。しかし週末には、なぜか彼を損失感が襲った。フットボールを身体が欲していた。90分間プレイすること、戦うこと、ゴールを決めること。その歓びはまるでドラッグのように、キーの身体に染み付いていた。

「うつ病になると感情の起伏が激しくなります。もう建築現場での仕事は楽しくなくなっていました。父親は仕事の対価として給料をくれましたが、フットボール界では13時間働くだけでその3倍もの金額を稼げるんです。『俺は何をやってるんだ?』と。妻や両親に相談すると同じ意見でしたが、最後は自分で決断しないといけないとも言われました」

「監督にチームに戻ると言うと、彼は大喜びしてくれて『リーグ最高のストライカーが戻ってきた』と言ってくれました。すぐにチームに戻れて僕は本当にラッキーだったと思います。スタッフはみんな友だち同士のような関係ですが、いざとなればちゃんと叱りつけてくれる存在でもあります。アンディ・ホルトの家族も僕を迎え入れてくれました。僕にはレスターとアクリントンの両方に両親がいるようなものです」




【決断】

前述した通り、このシーズンにアクリントンはフェアリーテイルのようなLeague Two優勝を果たし、その中心的な役割を果たしたキーの告白はその点からも注目を浴びた。

シーズン終了後のインタビューでも、彼は「BBCのインタビューに答えて以来、いろんな人からの助けを得られていて、問題をオープンにしてよかったと思っています。1%の人々の助けにでもなれれば十分です」とその後の好意的な経過を語っていた。


しかし19/20シーズンの開幕前、キーを再び大きな危機が襲う。うつ病に加え不安障害、過食症の症状が再び発生し、彼はプレシーズントレーニングに帰ってくることができなくなってしまったのだ。

夏、再び悪魔的な考えが頭をもたげた時のことについて、彼は同じく“Times”Gregor Robertson氏によるインタビューの中でこう証言している。


「夏には、もう僕の人生なんかなくなってしまえばいいと思っていました。自分ではどうすることもできず、ただただ全てのものから遠ざかりたかった。またフットボールを楽しめなくなっていたんです。プレッシャー、ストレス、家族と離れ離れになる時間の多さ。体脂肪も常にコントロールしていないといけない。何日も眠れなくなり、不安に頭を支配されました。ファンがどんなことを考えているのか気になり、ネット掲示板の書き込みをずっと読んでいました。オンオフのスイッチを切り替えることができなくなっていたのだと思います」

「毎週土曜日に目が覚める時、いつも『今日は大雨が降って中止になればいいのになあ』と思っていましたから。現代のフットボーラーは完璧であることを求められます。フットボーラーは全員真のアスリートで、強靭な心を持った人間でなければ、トップレベルには到達できない職業『だとされている』んです。僕にはそれは無理な注文でした」

「家に帰って、そのフラストレーションを家族にぶつけるのはフェアではありません。従って当然、それはストレスとなって自分の中に積もっていきました。その時に抱いている感情が何なのか自分でもよくわからなくなりました。これらは全部ここ8ヶ月とかそれくらいの話ですが、『自分はフットボール界に関わっている限り健康にはなれない』と悟るのには十分すぎるほどでした」



(昨年10月のリーグ戦でアウェイ遠征にやってきたイプスウィッチのファン有志が掲げたバナー。キーにはチームの垣根を越えた多くのサポートが寄せられていた)



キーは引退することを決めた。彼の人生にはもうこれ以上、フットボール界での時間を続ける意味などなかった。
「フットボールを愛すること」と、「プロのフットボーラーで居続けること」は全く別物だ。ビリー・キーは、29歳のローカルラッドになることができた。


彼をスター選手としてではなく、一人の仲間として愛し続けたアクリントンのファンは、キーとの別れを惜しんだ。

21日、AFCウィンブルドン戦のキックオフ前に、エモーショナルなキーの引退セレモニーが行われた。ファンは永久欠番となった彼の背番号29を掲げ、キーは懐かしき顔のそれぞれに別れを告げた。
ふと目に飛び込んできたバナーには、こう書かれていた。「ビリー・キー。ヒーロー、レジェンド、フレンド」。キーの頬を、涙が伝った。

「(プレイするのが)いずれ恋しくなることはわかっています。もし今無理やりピッチに放り出されてもきちんとプレイできると思うし、戦えもするでしょう。でも僕には、今この瞬間の90分よりもずっと長い人生が待っているんです。僕はビールを愛し、ケバブを愛し、友だちを愛する普通の人間です。僕にとってそれは、必死にフットボール界に適応するよりも重要なことですから」

「今はまた建築現場で働き始めています。レンガを積んだりなんだりで、朝の6時から夕方の5時まで忙しくしていますよ。本当に楽しいです。今はフットボールの外側にある未来像を描けています。もしかしたら、あくまで純粋に趣味としてやれるレベルであれば、パートタイマーとしてフットボーラーに戻るかもしれません。もちろん、お金のためではないですし、お金のために動くことはもう一生ないと思います。幸せこそが僕にとって最も大切なことです」

210日、キーは現在77位につけるコールヴィル・タウンというチームと契約を交わした。このニュースに際してTwitterで妻のリーさんが行った投稿には、多くの激励のメッセージが届いた。

「きちんと説明しておきます。私の夫はおそらくほとんどの人が知っている理由によってプロフェッショナル・フットボールから引退しました。そして今、パートタイマーとして、ノンリーグで復帰することにしたのです。建設現場でフルタイムで働き、楽しい日常と純粋なフットボールへの愛のためにプレイするのです」





デイヴィッド・ベッカムの登場以降、時代を経るに連れ、フットボーラーにはセレブリティとしての価値が付随するようになった。その功罪は既に広く語られている通りだが、キーの病状の告白にはまさにその「功」と「罪」の両面が示唆されている。

わかりやすいのは「罪」の方だ。キーの告白は、たとえ3部・4部の選手といえども、フットボーラーというセレブリティとして人々から扱われることによって、心身に異常をきたしてしまう人がいるという憎むべき事実を世に知らしめた。

一方で、セレブリティ化による「功」も結果的には存在している。キーの告白によって多くの人々が、今や「5大疾病」の一つにも数えられるメンタルヘルスの問題について考えるきっかけを得たからだ。

フットボーラーは社会的な影響力を持つ人々だ。英国では彼らの発言・行動の一つ一つが、「スポーツ」という枠に括られない出来事として、大衆から広く関心を集める。それは良くも悪くも、現代フットボール界の一つの特徴となっている。

先週末、プレミアリーグとEFLの全てのクラブが、ウィリアム王子が推進するメンタルヘルスの会話促進キャンペーン“Heads Up”への連帯を表明した。練習ウェアに、ユニフォームに刻まれたロゴは、キャンペーンの存在を全てのファンに周知させるには十分な存在感を放っていた。




今、そのフットボール界に人生を翻弄された男が、建築現場と7部リーグという身の丈に合った場所で新たな日常をスタートさせる。

ビリー・キーは間違いなく、この世界にその爪痕を残した。夢と現実の狭間で10年間もがき続けた彼は、後進に新たな道を切り開いた。

フットボール界は、プレイする選手にとって快適な場所でなければならない。
そしてフットボールは最終目的ではなく、人間生活における幸福を追求するための一手段でなければならない。

何よりも重要なのは、彼はフットボールのためではなく、自らの人生のために行動を取った。これは何にも増して重視されるべき指針であるように私は思う。

2017年のインタビューを、彼はこのような言葉で締めくくっている。

「外にいるときは楽しいです。練習場に来ても、仲間の冗談とかを笑って聞いていられます。でも家で一人になると、なぜか涙が出てくることがあるんです。おかしいですよね。僕はみんなの夢の職業、フットボーラーそのものなのに! それにこれも皆が憧れる美しい妻、かわいい子ども、良い車、潤沢なお金も持っています」

「でもよく考えてみてください。もしあなたが宝くじに当選すれば、僕と同じようにこれら全てを手に入れることができるはずです。僕はこうした幸せは、誰しもが持ち得るものなんだと思います」




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